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2022年には1ドル120円?〜円相場、その激動の過去

プラザ合意後の激しい介入

榊原英資 (財)インド経済研究所理事長、エコノミスト

 2020年2月に1ドル109円97銭程度だった円ドル相場はその後円高に推移し、2021年1月には1ドル102円70銭ほどまで上がったのだが、此処から反転し、円安局面に入って来ている。11月30日の朝11時の時点では1ドル113円70銭前後まで円安になっている。

 1985年、ニューヨーク市のプラザホテルに先進5カ国(アメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ、日本)の蔵相、中央銀行総裁が集まり、為替レートの安定化について合意した。いわゆるプラザ合意、日本からは竹下登蔵相が出席した。アメリカの財政赤字、貿易収支赤字が増大したことによってドル相場が不安定化したことを受けて、協調的なドル安路線を図ることで意見の一致を見たのだった。

 プラザ合意後、24時間(1日)だけでドル円レートは1ドル235円から約20円暴落した。そして、1年後にはドルの価値はほぼ半減し、1ドル150円台で取引されるようになった。急速に進んだドル安、円高を背景に、「半額セール」とまで言われた米国資産の買い漁りや海外旅行のブームが起き、賃金の安い国に工場を移転する企業が増加、とりわけ東南アジアに直接投資する日本企業が増えたため、「奇跡」ともいわれた東南アジアの発展を促す事になった。

Peshkova/shutterstock.com拡大Peshkova/shutterstock.com

 その後、今度は進み過ぎたドル安に歯止めをかけるため、為替レートを安定させるべく1987年、再び各国が協調することをうたったルーブル合意が結ばれた。1987年には円ドルレートは、1ドル144円64銭まで円高に推移し、その後も円高は進んでいったのだった。ドイツマルクも円と同様、マルク高に推移していた。

 円高はルーブル合意後も進み、1995年4月19日には一時1ドル79円70銭台の史上最高値を付けたのだ。こうした厳しい状況の中、ワシントンでG7(アメリカ、フランス、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ)の大蔵大臣が集まり、アメリカのロバート・ルービン財務長官を議長とする蔵相会議が開かれた。日本から武村正義大蔵大臣が出席し、日本同様にマルク高に苦しんでいたドイツのワイゲル外相なども協調を進め、蔵相会議の議論としては極めて異例な、為替レートの「反転」を求める共同声明を発したのだ。

 この声明以降、G7諸国もドル安是正に動き出した。1995年5月31日には日米欧12カ国による協調介入が実施され、更に同年7月7日には前日の日米協調利下げを受けて日米協調介入(いわゆる七夕介入)が行われたのだ。筆者は5月26日に国際金融局長に就任していたが、舞台は整えられていたのだった。

 流れに乗って日本が強烈な介入で円高を是正する局面になった。筆者はアメリカのローレンス・サマーズ財務副長官(1999年7月財務長官、2001年ハーバード大学学長、2009年第8代国家経済会議委員長)と連絡を取り合い、強烈な為替介入を執拗におこなった。

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筆者

榊原英資

榊原英資(さかきばら・えいすけ) (財)インド経済研究所理事長、エコノミスト

1941年生まれ。東京大学経済学部卒、1965年に大蔵省に入省。ミシガン大学に留学し、経済学博士号取得。1994年に財政金融研究所所長、1995年に国際金融局長を経て1997年に財務官に就任。1999年に大蔵省退官、慶応義塾大学教授、早稲田大学教授を経て、2010年4月から青山学院大学教授。近著に「フレンチ・パラドックス」(文藝春秋社)、「ドル漂流」「龍馬伝説の虚実」(朝日新聞出版) 「世界同時不況がすでに始まっている!」(アスコム)、「『日本脳』改造講座」(祥伝社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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