メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

日本を追い越していった台湾ファンドリーに5000億円近い巨額補助金

【10】TSMC進出で浮き彫りになる日本半導体の敗戦/2022年

大鹿靖明 ジャーナリスト・ノンフィクション作家(朝日新聞編集委員)

 日本政府は、台湾の半導体受託製造会社TSMCが熊本につくる工場に5000億円近い巨額補助金を交付する。米中対立のなか、台湾メーカーを熊本に引き込むのが「経済安保」だというのが、その大義名分である。TSMCは補助金を元手に初期投資だけで1兆円近い前代未聞の規模の半導体工場を新設する。

 ゆえに熊本はいま、県庁を挙げて半導体エンジニアの育成や熊本空港と結ぶ鉄道延伸を検討し、突然舞い込んだ「国策」にまるで天孫降臨のような大騒ぎだ。しかし、政府や自治体が至れり尽くせりの支援策を講じて、あがめたてまつるTSMCは、この四半世紀のうちに、日本の大手半導体メーカーを軒並み駆逐して、のし上がった「下剋上」の企業なのである。巨額補助金の大盤振る舞いによるTSMC誘致は、日本の半導体「敗戦」の裏返しでもある。

拡大

阿蘇の裾野に舞い降りた「国家的プロジェクト」

 熊本市のベッドタウンでもある熊本県菊陽町は、もともと阿蘇山の裾野にある広大な農業地帯だった。麦をはじめ、ニンジンやダイコンなどの野菜、さらに高原野菜のキャベツが特産品という近郊農業が盛んな地域だったが、2000年代に入ってソニーの半導体工場(現ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング熊本テクノロジーセンター)ができて様相が一変する。

 同工場はCCDやCMOSイメージセンサーという画像用半導体の量産工場で、画像用半導体が「電子の目」としてレンズに置き換わるにつれ、監視カメラやデジタルカメラ、さらにはスマートフォンへと用途が広がってゆき、ソニーの半導体生産の一大拠点になっていった。近隣には大手半導体製造装置メーカーの東京エレクトロンの工場(合志市)も立地し、菊陽町・合志市は一躍、小さな「シリコンバレー」になったのである。キャベツ畑が広がる長閑な農村地帯の主産品は、いまやハイテクの塊の半導体である。

 そのソニーの工場の隣接地にTSMCが進出することになった。

拡大TSMCの工場建設予定地。後方にソニーグループ子会社の半導体工場がみえる=2021年10月14日、熊本県菊陽町
 菊陽町役場は、TSMCの進出が決まった昨年11月に即座に「国家的プロジェクトに必要な施策を実施する」と位置づけ、全庁組織の「半導体産業企業誘致推進本部」を設けた。すぐに決まったのが、すでに交通渋滞に悩む道路の延伸と拡幅の計画だった。

 同じように熊本県庁も同様の全庁組織を立ち上げ、傘下に5つのプロジェクトチームを設け、さまざまな支援策を立案しようとしている。進出工場の利便性を向上させようと、JR豊肥線と熊本空港をつなぐ鉄道延伸計画を、従来予定していた路線ではなく、TSMCの工場が立地する付近を通すよう練り直している。

拡大九州経済産業局が音頭を取って、産官学で半導体エンジニアの人材育成コンソーシアムをつくる準備会合が開かれた=2022年2月7日、福岡市博多区
拡大TSMCへの支援を県庁ぐるみで進める考えを語る熊本県の蒲島郁夫知事=2021年12月17日

 従業員1500人のうち7割の地元雇用が見込まれることから、半導体エンジニアを養成しようと県立技術短期大学校に半導体エンジニア養成コースを新設し、さらに同短期大学校にTSMCで働く人向けの職業訓練コース(トレーニングセンター)を設けることも考えている。米国留学経験のある台湾人エリートが100人単位で赴任することから、「お子さんの教育問題が重要。インターナショナルスクールの創設ができないか検討している」と木村敬副知事は言う。

 TSMCの初期投資9800億円(当初の8000億円からさらに上積みされた)は、初期投資額としては東芝(現キオクシア)やソニーなど国内の大手半導体メーカーでも見られないほど巨額だが、その投資額の約半分が補助金、つまり日本国民の税金が元手である。それに加えてアクセス道路や鉄道、就労者教育、子女の教育の面倒までに公費が投じられようとしている。

 ところが、私が県庁や町役場の担当者に「TSMCってご存知でしたか?」と尋ねると、彼らは恥ずかしそうに言うのだった。「いやぁ、実は今回初めて知りまして……」と。

拡大創業者のモリス・チャン氏を紹介するTSMCの公式サイト
 それもそのはず、TSMCはブランドを持たない会社だからである。漢字表記では「台湾積体電路製造」という。米国の大手半導体メーカー、テキサス・インスツルメンツ(TI)で長く働いたモリス・チャンが1987年、台湾で創業した後発の半導体メーカーだった。

 TSMC創業当時の半導体業界は、先行していた米国勢を日本勢が激しく追い上げ、遂に86年に日米のシェアが逆転し、日本は世界最大の半導体生産国となった時代だった。「メイド・イン・ジャパン」が世界を席巻し、国内はバブル経済に浮かれ、強い円で米コロンビア映画やロックフェラーセンターを買い漁っていたころのことである。

拡大急ピッチで造成工事が進む台湾のTSMCとソニーグループの工場建設予定地=2022年2月1日、熊本県菊陽町

筆者

大鹿靖明

大鹿靖明(おおしか・やすあき) ジャーナリスト・ノンフィクション作家(朝日新聞編集委員)

1965年、東京生まれ。早稲田大政治経済学部卒。ジャーナリスト・ノンフィクション作家。88年、朝日新聞社入社。著書に第34回講談社ノンフィクション賞を受賞した『メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故』を始め、『ヒルズ黙示録 検証・ライブドア』、『ヒルズ黙示録・最終章』、『堕ちた翼 ドキュメントJAL倒産』、『ジャーナリズムの現場から』、『東芝の悲劇』がある。近著に『金融庁戦記 企業監視官・佐々木清隆の事件簿』。取材班の一員でかかわったものに『ゴーンショック 日産カルロス・ゴーン事件の真相』などがある。キング・クリムゾンに強い影響を受ける。レコ漁りと音楽酒場探訪が趣味。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

大鹿靖明の記事

もっと見る