富国強兵のための制度が引きずる負の遺産
2022年03月03日
かつて政界を動かす軸の一人だった石破茂はいま何を考えどんな行動を起こそうとしているのか?
昨年の総裁選で出馬せず、その後自らの派閥もグループ化の道を選んだ衆議院議員・石破茂。
かつては防衛庁長官、防衛大臣、農林水産大臣、党政務調査会長、幹事長などを歴任。30代のころには自民党を飛び出し、政界再編の軸の一人だったこともある。2012年と18年の総裁選では大量の地方票を獲得したが、永田町内での支持者は少なく、ついに安倍内閣の牙城を切り崩せなかったことは記憶に新しい。
その存在は自民党内でも「異質」だ。党内にあっても忖度せずに首相や閣僚にもの申し、麻生内閣の時には閣内にありながら首相に解散を進言したこともある。
自他ともに国防族であることを認めているが、その一方で2014年には内閣府特命大臣(初代地方創生大臣)に就任し、全国の自治体を400以上回ってその実態把握を行った。その数は、後継の地方創生相の誰よりも上回っている。
人口減少高齢化経済衰退と慢性的に疲弊しているうえにコロナ禍で苦しめられる地方の自治体からは、「地方創生のために石破氏の活躍を再び」との声も聞こえてくる。
おりしもインタビューを行った1月17日、初めての施政方針演説に望んだ岸田文雄首相の口からは、「地方創生」の言葉は一度も発せられなかった。
地方創生を政治の流行にしてはならない。地方の再生なくしてこの国の再生はない。
日頃からそう発言する石破に、今後の地方創生のあるべき姿を聞いてみた。
──岸田内閣は「デジタル田園都市構想」を掲げ、地方にもDX(デジタルトランスフォーメーション)の波を広げようとしています。けれど地方のどんなコンテンツをデジタル化により付加価値をつけようとしているのか?地方の視点で創生を考えているのか?そこには大きな疑問があります。石破さんはその点をどうお考えでしょうか?
石破 さきほど国会から戻ってきたのですが、岸田首相の演説に「地方創生」という言葉自体は入っていませんでした。一方で、デジタル田園都市構想で地方を発展させるんだという点は強調されていましたが、デジタル化して地方の何を発展させていくのか、その点はまだ明らかにはなっていないと思います。
少なくとも中央の政界において、政策としての地方創生はかなり存在感を失いつつあるという懸念を私は持っています。岸田総理の演説で、「東京一極集中の是正」という言葉が出てこなかったことも気になります。
講演でもよく話すことですが、たとえば1970年代の田中角栄先生の「列島改造」、70年代から80年代にかけての大平正芳先生の「田園都市構想」、80年代末期の竹下登先生の「ふるさと創生」等、自民党は時代ごとに地方の発展を常に考えて来ました。そして安倍内閣で「地方創生」を看板政策の一つに掲げました。では、それが過去の内閣の地方政策と何が違うのかと考えると、以前の政策は日本経済が高度成長し、人口も増えていた時代の発想だったわけです。
勿論、それぞれ素晴らしい政策ではあったのですが、これを失敗すると国全体の危機だ、というような切迫感は無かっただろうと思います。地方が発展するといいなぁとは思っていたけれど、出来なかったら本当に国は行き詰まっちゃうよという危機感は無かった。それは人口が増えていて経済が伸びていたからです。
その頃と現在とでは状況が全然違う。いま人口は急減期に入り、経済は30年ほどほぼ横ばいが続いています。
ですから安倍内閣においては、「地方創生」に失敗は許されないという大きな危機感とともにスタートしました。私もそういった思いで、2014年から2年間、初代の大臣を務めました。現在は全国に1718市町村あります。それぞれがどう伸びて行くかは、それぞれの地域でしか解るわけがない。それまでの国の政策は全国一律で、決まったメニューから事業を選んでもらうだけだった。だからうまくいかなかった。そうではなく、それぞれの地域で、自分の地域の強みを発見し、何をしなければいけないかを真剣に考えてください、と地方を行脚しながらお願いしたんです。
「産官学金労言士」といいます。地方創生は役所だけがやるものではない。産業界、役所、大学・高校・中学校、地方銀行・信用金庫、労働組合、ラジオ・テレビや地元の新聞、税理士・弁護士等の士業、等々、地域のあらゆる人たちが一体となって、それぞれ自分のまちをどうするか、自分たちで考えていく。そして国は、こういった自治体のプランに対して予算、情報、人材で支援をする。国が言ったとおりにやって下さいということではありません、と申し上げた。それで知恵を出し、汗を流してくれた市町村がたくさんありました。
──それでも東京の一極集中は変わりません。コロナ禍で多少東京の人口が地方に向かいつつありますが、政策的に地方の課題を解決しようという覇気は感じられません。
石破 首都一極集中という政策的方向性は、短期間に経済を成長させるためには非常に有効です。けれど決してサステイナブルなものではない。
歴史的に見ると、江戸時代の日本は「天下泰平」というキーワードで平和な国を作り上げた。そのために幕府は人々が一カ所に集中しすぎないような政策を採った。大型帆船を造っちゃいけない、大きな川に橋を架けちゃいけない、といった政策はその一環です。そういう適度な地方の独立性のもとで、265年間の「天下泰平」があった。
ところが幕末になって、このままでは欧米列強の植民地になるという大きな危機が来て、明治維新が起こり、国策が180度転換します。これが東京一極集中のはじまりです。ヒト・モノ・カネの全てを首都に集中させることで、「富国強兵」を実現した。そうやって日本は急速に発展していき、今度は太平洋戦争に負けた。日本は焦土と化したわけですが、占領していたアメリカの意向もあって、貧しいままでいたら共産主義の餌食になるという危機感から、今度は「経済成長」のためにもう一度一極集中を志向しました。
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