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原発の「多重防御」は、砲弾とテロで簡単に破れる~チェルノブイリ攻撃であらわになったもろさ

不作為の対策の遅れは、立地地域住民に対する背信だ

北村俊郎 元日本原子力発電理事

三段構えの防御がことごとく崩れた福島の原発事故

 ここで、福島第一原発の事故がどのようにして起きたかをおさらいしておこう。原発は三段構えの防御施設で過酷事故を防ぐようになっているが、福島第一原発の場合、この三段が次々と破られて核燃料が溶け出し、壊れた格納容器の隙間から放射性物質が外部に出る過酷事故となった。

 防御の第一段は、原子炉が急停止した際に出る大量の崩壊熱を除去するために直ちに水を注入する装置だ。原発が地震などで停止すると、いままで電力を送り出すのに使っていた送電線で、逆に外部から電力を送ってもらい、その電力で冷却ポンプを動かす。そうすることで冷却用の水を炉内に入れることができる。

 ところが、福島第一原発の場合、地震で構内の送電鉄塔が倒れ、変電所も被災し、外からの電力を送ってもらうことができなくなった。

東日本大震災の地震の影響で倒れた福島第一原発の外部電源の鉄塔=東京電力の報告書から 拡大東日本大震災の地震の影響で倒れた福島第一原発の外部電源の鉄塔=東京電力の報告書から

 次に防御の第二段として登場するのが非常用電源である。これは外部からの送電ができなくなった場合、所内のディーゼル発電機で発電して冷却用のポンプ・モーターを動かす仕組みだ。ところが福島第一原発の場合、複数あったこの装置がすべて津波で浸水して使えなくなり、ポンプ・モーターを動かせなくなった。

 こうなると防御の第三段として、自走式の電源車を原子炉建屋に横付けし、その電力でポンプ・モーターを回すことになる。福島第一原発の事故当時も、多くの電源車を東電の他の事業所や他の電力会社から集めたのであるが、うまく使えずに冷却水の注入は消防車のポンプを使って行った。そのうち強い余震があったり、水素爆発があったりして防御の第三段は機能しないまま、炉内の核燃料が溶け落ちてしまった。

福島第二では冷却になんとか成功

 第一段の外部電源が維持されていれば第二段、第三段に行かずに済んだわけで、地震とともに第一段を失ったことは痛かった。

 福島第二原発では、よく知られているように増田所長以下の奮闘で、生き残っていた送電線からの電気を原発の配電盤に人海戦術で繋ぎ込んで、なんとかポンプモーターを回して原子炉の冷却に成功している。それほど外部電源は大事なものだ。

 ところが、外部電源は何百本もの鉄塔と高圧電線で主に山の中を延々何百キロメートルも首都圏まで続いている。途中には変電所もある。テロ集団がそのうちの一箇所の鉄塔を破壊するか、送電線を切ってしまえば、福島第一原発と同じように外部電源、すなわち防御の第一段を無効にできる。

 次に第二段の非常用電源であるが、これも極めて無防備だ。

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筆者

北村俊郎

北村俊郎(きたむら・としろう) 元日本原子力発電理事

1944年、滋賀県生まれ。1967年慶應義塾大学経済学部卒業後、日本原子力発電株式会社に入社。本社のほか東海発電所、敦賀発電所、福井事務所など現場勤務を経験したのち、理事・社長室長、直営化プロジェクトリーダーを歴任。主に労働安全、教育訓練、地域対応、人事管理などに携わり、2005年に退職。福島県富岡町に移り住む。同年から2012年まで社団法人日本原子力産業協会参事。福島第一原発の事故により、現在も避難を続けている。著書に「原発推進者の無念」(平凡社新書)「原子力村中枢部での体験から10年の葛藤で掴んだ事故原因」(かもがわ出版)がある。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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