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掘るほどに出てくるお米の魅力、まずは思いつくままに

私はお米に救われてきた

柏木智帆 お米ライター、元神奈川新聞記者

 ウクライナ侵攻の影響で資源や食料価格が高騰している。日本では近年、お米の消費量が減り続けているが、小麦価格の高騰を受けて米食を見直そうという声もある。お米は身近な存在すぎるがゆえ、なかなかその魅力に気づきにくいが、これを機にお米の魅力を掘り下げてみてはどうだろう。

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 ごはんがおいしかった思い出、ごはんを食べてほっとした思い出、ごはんに救われた思い出は、多かれ少なかれ、きっと誰もが記憶の奥底に持っているのではないだろうか。

 以前に兵庫県の「お米・ごはん推進フォーラム」で講演した際、県職員から1月17日は「おむすびの日」だと教えてもらった。同県の「おいしいごはんを食べよう県民運動」によると、「阪神・淡路大震災の際、多くの被災者に希望とぬくもりを与えてくれたのがおむすびの炊き出しだった」。私は被災経験がないが、おむすびや炊きたてのごはんを食べてほっとするという気持ちがなんとなく分かるのは、やはりお米は日本人のDNAだからなのかもしれない。

摂食障害でもお米だけは食べられた

 新聞記者時代、入社してすぐ警察担当になり、繁華街に近い警察署の近所で人生初の一人暮らしを始め、慣れない生活にいつも気持ちが張りつめていた時は、定食屋の白飯に助けられた。原稿を出稿後、夜遅くから日付が変わるころまで担当の警察署を回る「夜回り」に出るのだが、その前に定食屋で白飯と味噌汁と焼き魚を食べてお腹と心を満たしたおかげで、なんとか気持ちが折れずに踏ん張れていたように思う。災害時に限らず、心身が弱っている状態のときは、「やっぱりごはんだよなあ」と感じるのは私だけではないだろう。

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 私の場合、記者生活を送るうちに、入社前から無自覚のうちに発症していた摂食障害が少しずつ悪化していき、ついには強迫神経症(強迫性障害)の診断も受け、あらゆる食品を食べなくなった。調味料全般をとるのが怖くなり、一粒の塩すら受け付けなくなった。「自分を浄化したい」という観念にとらわれていた。

 しかし、お米は水だけで炊けるクリーンなエネルギーであり、日本で脈々と食べつがれてきた主食だと思うと、妙な安心感があって食べられた。外食時は白飯を注文して、おむすび店では「塩むすびの塩抜き」という奇妙な注文をしていた。「お米に味がない」なんて誰が言ったのか。お米とちゃんと向き合うと、程よい粘りのあるごはんを噛みしめるごとに旨みや甘さが感じられる。冷めてからのほうが味や食感はわかりやすいが、炊きたてはその香りや風味がおいしい。コンビニのおむすびは食べられないので、遠方取材の時にはパソコンや一眼レフカメラと一緒に真空パックの餅と登山用バーナーを持ち歩き、駐車場や公園の片隅で焼いて食べていたこともあった。

 心療内科医からは「摂食障害患者は炭水化物を避ける傾向があるのにお米が食べられるのはめずらしい」と言われたが、

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