問題を解決するのは「お金自体」ではない
2022年06月23日
「私は大丈夫だと言いたい」
6月4日、京都市内で講演した安倍晋三元首相は、1千兆円を超える国債発行残高を不安視する意見に対して、このように語った。
将来世代にそんなにツケを回していいのか。そう思う人は少なくないだろう。
GDPの2倍を遥かに超えて、さらに増え続ける日本の債務残高。しかし、この財政問題については、さまざまな意見を耳にする。
「日銀と政府を一体で考えれば心配はいらない」と諭す元首相がいれば、
「このままだと日本はハイパーインフレになる」と叫ぶ経済評論家がいる。
「日本は通貨発行権を持っているから大丈夫だ」と説明する国会議員がいれば、
「バラマキを続けるとローマ帝国のように滅ぶ」と警告する財務官僚がいる。
通貨の信認、国債の格付け、国家のバランスシート、現代貨幣理論、マンデルフレミング、ドーマー条件。それぞれの主張を聞けば聞くほど、話が複雑に専門的になって、どの話を信じていいのか分からなくなる。真実は一つであるはずなのに、ここまで現状認識がバラバラなのも珍しい。
ところが、ここに一本の補助線を引くと、バラバラに見えていた意見が一つにつながる。そして全体像が見えてくる。
補助線とは、「誰に働いてもらうのか」という視点の導入だ。
そんな基本的なことで財政問題が理解できるのか、禅問答でも始める気なのか、そう思われる方もしばらくお付き合い願いたい。
長年、ゴールドマンサックス証券で、トレーダーとして金利マーケットで日本国債と向き合い、さまざまな分析をしてきたが、日本の財政問題の本質はそんな基本的なところに存在していたのだ。
まずは人とお金と社会の関係を考え直すことから始めてみたい。
私たちはお金をやりくりしながら、日々生活している。これは、国家という規模になっても同じことがいえる。どんなに良い政策を思いついても、すぐに「財源はどうする?」という話になる。貨幣経済が浸透した現代社会では、個人でも国家でもお金は必要不可欠だ。
しかし、その貨幣経済に慣れすぎたあまりに、「お金さえあれば問題が解決する」と思ってはしないだろうか。
それは錯覚だ。
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