自己責任社会を改めず、格差拡大と環境破壊を放置するなら、看板を下ろすべきだ
2022年07月01日
岸田文雄首相が政権の基本理念として打ち出した「新しい資本主義」について、意味不明との声がメディアからたびたび示されている。例えば『朝日新聞』は、次のように複数回の「社説」でそうした意見を表明している。
肝いりの「新しい資本主義」の具体像は見えず(2021年10月9日社説)
首相は「新しい資本主義」や「デジタル田園都市国家構想」など、大きなビジョンを掲げているが、今のところ、スローガンの域を脱していないと言わざるを得ない。(2021年11月11日社説)
首相肝いりの「新しい資本主義」が何なのかは、きのうの演説を聞いても、いまだ腑(ふ)に落ちない。(2022年1月18日社説)
今国会の論戦が本格化しているが、岸田首相の看板政策「新しい資本主義」は一向に具体像を結ばない。(2022年2月7日社説)
首相の看板である「新しい資本主義」は、いまだその具体像が明らかではない。(2022年4月8日社説)
岸田首相はもう「新しい資本主義」の看板を下ろしてはどうか。(2022年6月1日社説)
看板政策の「新しい資本主義」については、今月になってようやく実行計画を閣議決定したが、当初の「分配強化」の理念は消え、過去の政権が示した成長戦略の焼き直しに終わった。(2022年6月22日社説)
以上のとおり、朝日新聞の社説からは「新しい資本主義」について「意味がよく分からない」といういら立ちが伝わってくる。政権発足から半年以上が過ぎても、政治をウオッチしている新聞記者にすら考え方が理解されていないことは明らかだ。記者(メディアの伝え手)が理解しないものを、読者(メディアの受け手)が理解できるわけはない。
問題は、岸田首相に伝える気がない(あるいは中身がない)のか、それとも記者(メディア)に理解する気がない(あるいは能力がない)のか、である。そこで、岸田首相の「新しい資本主義」が何を意味するのか、探っていく。
まずは、岸田首相が「古い資本主義」をどのように認識しているのか、確認しよう。「新しい資本主義」ということは、当然のことながら「古い資本主義」が認識の中に存在するはずだ。それがわからなければ、どこがどのように「新しい」のか分からない。岸田首相は、最初の通常国会における施政方針演説で次のように述べている。
市場に依存し過ぎたことで公平な分配が行われず生じた、格差や貧困の拡大。市場や競争の効率性を重視し過ぎたことによる、中長期的投資の不足、そして持続可能性の喪失。行き過ぎた集中によって生じた、都市と地方の格差。自然に負荷をかけ過ぎたことによって深刻化した、気候変動問題。分厚い中間層の衰退がもたらした、健全な民主主義の危機。世界でこうした問題への危機感が高まっていることを背景に、市場に任せれば全てが上手くいくという新自由主義的な考え方が生んだ様々な弊害を乗り越え、持続可能な経済社会の実現に向けた、歴史的スケールでの経済社会変革の動きが始まっています。私は、成長と分配の好循環による新しい資本主義によって、この世界の動きを主導していきます。(2022年1月17日衆議院本会議)
このように、岸田首相は「新自由主義」を「古い資本主義」と認識している。新自由主義の経済政策方針を改め、異なる経済政策方針を採用すると述べている。
そして、新自由主義について「市場に任せれば全てが上手くいく」との考え方という認識も示している。具体的には、新自由主義について「市場原理あるいは競争原理、優勝劣敗、こうした考え方に偏重した」(2021年10月13日参議院本会議)との見方を示している。
新自由主義への評価について、経済成長の原動力となった反面、弊害を生んだと、岸田首相は述べている。功罪両面あったとの認識である。
一九八〇年代以降、世界の主流となった、市場や競争に任せればうまくいくという新自由主義的な考え方、これは世界経済、そして日本経済の成長の原動力となったということは評価されるわけですが、その一方で、格差、貧困、また気候変動、こうした多くの弊害も生んだという評価があります。(2021年12月13日衆議院予算委員会)
それでは「資本主義」そのものについて、岸田首相はどのように認識しているのか。
資本主義ですので、市場や競争、これは基本であるということ、これはこれからも変わらないと思っています。その市場や競争を通じて、経済社会に効率性、あるいは起業家精神、あるいは活力、こうした成長の原動力をもたらす、これが資本主義における大きな長所であると思っています。(2022年2月18日衆議院予算委員会)
以上のとおり、岸田首相は「市場と競争による経済成長」を資本主義の特徴と認識している。前述したように、経済成長の原動力については、新自由主義についても功績として評価している。
よって、岸田首相が認識する「古い資本主義」とは「市場と競争による経済成長を徹底追求する経済のあり方」ということになる。新自由主義の定義は、論者によって幅をもつが、岸田首相の認識はその最大公約数的な認識といってもいい。新自由主義を改め、別の経済のあり方を目指すというわけである。
岸田首相は「古い資本主義」と「新しい資本主義」の違いについて、次のように説明している。
市場や競争に任せず、市場の失敗や外部不経済を是正する仕組みを成長戦略と分配戦略の両面から資本主義の中に埋め込み、資本主義がもたらす便益を最大化しようとする新しい資本主義を進めております。(2021年12月21日参議院本会議)
要するに、岸田首相の「新しい資本主義」とは「市場の失敗や外部不経済の発生を抑制するメカニズムをもつ経済のあり方」となる。「古い資本主義」の認識が「市場と競争による経済成長を徹底追求する経済のあり方」であることから、経済成長を徹底追及するのでなく、経済成長を犠牲にしてでも外部不経済等の発生を抑制する方針となる。なお、外部不経済とは、経済活動に伴って発生する社会や環境等への悪影響のことである。
確かに、この考え方は従来の新自由主義と異なる「新しい」経済のあり方であり、画期的な経済政策の方針である。「脱成長論」とまでは言えないものの、池田勇人首相の「所得倍増計画」以降の過去60年の経済政策を大転換するものとなる。なぜならば、経済政策の第一目標を経済成長から外部不経済の抑制に変更するからである。
しかし、岸田首相は、これと矛盾する認識を次のように強調している。
私が掲げる新しい資本主義も、まずは成長だと申し上げています。経済成長を実現しなければ、分配の原資はありません。(2022年1月20日衆議院本会議)
経済成長を第一目標とする経済のあり方は、外部不経済の抑制を第一目標とする経済のあり方と矛盾する。なぜならば、格差の拡大や環境の破壊という外部不経済は、経済成長のためにやむを得ないものとして是認されてきたからである。
岸田首相は、それらが矛盾しないとして、この発言に続いて次のように述べている。
その際、市場や競争に全てを任せるのではなく、官と民が協働して、成長と分配の好循環を生み出していきます。市場の失敗、外部不経済を是正する仕組みを成長戦略と分配戦略の両面から資本主義の中に埋め込み、そうした課題を解決しながら、成長と分配の好循環を生み出していきたいと考えます。(2022年1月20日衆議院本会議)
岸田首相の言うように、経済成長と外部不経済の抑制を両立させることは可能だが、経済成長を優先させるならば、両立は不可能となる。なぜならば、現在の経済システムは外部不経済の発生を前提としているため、外部不経済の抑制を経済システムに埋め込めば、必ず一定の転換コストを要し、それが経済成長を抑制するからである。
もちろん、スムーズな転換に成功すればしばらく後に再び経済成長すると考えられる。けれども、スムーズな転換に成功するとは限らず、少なくとも新自由主義に適合させてきた日本経済のアドバンテージを失うことは間違いない。
つまり、岸田首相の「新しい資本主義」が分かりにくいのは、このジレンマを内包しているからである。経済成長を最優先するならば、外部不経済の抑制は二の次となり、外部不経済の抑制を最優先するならば、経済成長は二の次となるというジレンマである。外部不経済の抑制を第一目標、経済成長を第二目標として両立させることはできるが、岸田首相は経済成長を第一目標と述べているので、矛盾となる。
岸田首相のジレンマは、安倍政権の経済政策「アベノミクス」に対する姿勢で、顕著に示されている。岸田首相は「新しい資本主義」と「アベノミクス」の関係について、次のように述べている。
アベノミクスは、デフレではない状況をつくり出し、GDPを高め、雇用を拡大しました。今後とも、最大の目標であるデフレからの脱却に向けて、大胆な金融政策、機動的な財政政策、成長戦略の推進、努めてまいります。その上で、成長と分配の好循環による新しい資本主義の実現を目指してまいります。(2021年10月12日参議院本会議)
このように、岸田首相は「アベノミクス」を積極的に評価し、それを基礎に発展させた経済のあり方を「新しい資本主義」と位置づけている。具体的に「アベノミクス」という「マクロ経済政策は維持し」た上で、「新しい資本主義」という「経済の全体像をしっかり示すことによって持続可能な経済をしっかりと実現」する(2022年6月1日衆議院予算委員会)と、岸田首相は説明している。
「アベノミクス」の基本的な考え方は、経済成長の徹底追求にあった。その特徴は、バブル崩壊後の経済政策を同時かつ大規模に実施するもので、従来の経済構造を維持しつつ経済成長を目指す「政官財の総力戦」であった。大胆な金融政策、機動的な財政政策、成長戦略の推進という「三本の矢」は、その具体策である。当然のことながら、規制緩和や民営化を重視する新自由主義もその一部であった。
つまり、「アベノミクス」を「維持」し、経済成長を最優先するということは、新自由主義を維持することを意味する。あるいは、新自由主義の枠内での一部修正というレベルにとどまってしまう。そうなると「新しい資本主義」でなく、「修正新自由主義」ということになる。「アベノミクス」が「新自由主義」と異なるというのであれば、「新しい資本主義」=「修正アベノミクス」となる。
後期安倍政権が分配を重視していたことを思い起こせば、岸田首相の「新しい資本主義」と「アベノミクス」の違いは、さらに見えにくくなる。例えば「女性活躍」や「全世代型社会保障」のように、安倍首相なりに分配を重視していた。安倍首相にしてみれば、布マスクを全国民に分配した「アベノマスク」も分配重視の政策だったのかもしれない。
そして、岸田首相は、貯蓄から投資への転換を重要政策として打ち出すようになった。その考え方は次のとおりである。
貯蓄から投資へと申し上げたわけですが、それはまさに、一つは、こうした、お示しいただいた資料にあるように、外国での運用と国内での運用の差が開いてしまっている。だからこそ、一つは、国内の資金運用の環境、市場をより魅力的なものにしようではないか、こうしたことを申し上げ、そしてもう一つは、資産を運用するに当たって、金融資産二千兆のうち一千兆が預金であるからして、これをしっかりと動かす、要は、中間層の方々の資産もしっかり動かしていく、ここに日本の経済のポテンシャルがあるのではないか、こうした思いで申し上げています。(2022年5月27日衆議院予算委員会)
このことから、岸田首相は、企業の投資が資金不足によって滞っている(経済成長の足を引っ張っている)との認識を有していると考えられる。これも、安倍政権の考え方と同じであり、「アベノミクス」の異次元金融緩和だけでは投資資金が不足するため、個人の貯蓄資金を投資資金に転換させようとしていると考えられる。
やはり、経済成長を重視し、外部不経済の抑制は二の次との考え方と思われる。朝日新聞社説(2022年6月15日)が「この状況で過度な減税などで投資を優遇すれば、資産所得での格差が拡大したり、投資の失敗で老後生活に困る人が多発したりする心配がある」と指摘するのも理解できる。
そうなると「外部不経済を是正する仕組みを成長戦略と分配戦略の両面から資本主義の中に埋め込み、そうした課題を解決しながら、成長と分配の好循環を生み出していきたい」という岸田首相の意気込みは、掛け声倒れと批判されてもやむを得ない。
岸田首相は、外部不経済の抑制を第一とする「新しい資本主義」を実現できるのか。筆者は「新しい資本主義」を実現しようという岸田首相の意気込みが見せかけであるとは、考えていない。岸田首相は、これまで説明したジレンマを十分に理解し、それを乗り越えようと懸命の努力をしているのではないだろうか。
しかし、閣議決定された「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」を見る限り、ジレンマは深まるばかりで、むしろ「古い資本主義」への回帰が強まっていると考えられる。なぜならば、
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