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インフレ目標も成長戦略も達成できず、野放図な財政拡大を招いた「異次元緩和」

リフレ派と30年前に論争、元日銀金融研究所長の翁邦雄さんに聞く

原真人 朝日新聞 編集委員

悪いインフレ論持ち出すのは「後出しじゃんけん」

 ――この春、消費者物価上昇率は日銀が目標としていた2%に達しました。それでも日銀は金融緩和をやめません。その点をどう評価していますか。

 「私は日銀が『2%』という数値にこだわることに意味は見いだせません。日銀法第2条で定められているのは『日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする』ということです。そう、日銀法に消費者物価上昇率2%という水準自体が定められているわけではありません。法が期待するのはあくまで「国民経済の健全な発展に資する」ための物価安定です。そう国民が感じられる物価安定は経済や賃金などの状況によって、あるときは2%をかなり上回ることもあるし、下回ることもあり得るはずです。物価安定を特定の数値に結びつけたところに、そもそも無理があったのです」

 「足元の物価上昇は、原油や天然ガスなど輸入価格高騰が起点です。そのような供給ショックで物価が上昇するときに金融を引き締めると、景気悪化を加速する可能性があります。だからインフレが2%に到達したから金融引締めすべきだとは必ずしもいえません。ただし、2%の数字にこだわってきた日銀がいまインフレの中味を問題にして金融 緩和を修正することを拒むのは、議論としては『後出しじゃんけん』のような印象を受けますね」

――後出し、ですか。

 「そもそもアベノミクスでは、良いデフレも悪いデフレも存在しない、インフレ率を上げることが至上命題、との立場だったはずです。それを踏まえて、黒田東彦総裁は就任記者会見で『2%の物価目標をできるだけ早期に実現するということが、日本銀行にとって最大の使命』との姿勢を示しました。そのために採用したのが異次元緩和です」

 「だからこそ、2014年に原油価格が低下し日本の交易条件が改善する『良いデフレショック』が起きたときでさえ、金融緩和による円安で物価への影響を打ち消しました。こうした経緯をみると、表面的な数字を重視するのか内容を重視するのかについての日銀の座標軸は まったく一貫していません。それによって金融政策がますます理解されにくくしています」

黒田東彦日銀総裁=2017年1月拡大黒田東彦日銀総裁=2017年1月

インフレもデフレも金融政策で解決可能という幻想

 ――中央銀行とは「インフレファイター(インフレと闘う組織)」として設けられた組織ですよね。その中央銀行が「物価上昇」をめざすことが妥当なのかどうか。

 「確かに、1990年代に先進諸国で進んだ中央銀行法改正の動きも、その延長線にあるユーロ圏の中央銀行ECB(欧州中央銀行)設立の理念も、インフレファイターの側面を色濃くもっていました。ただ、もう少し長い目で歴史を振り返ると、実は中央銀行の目標は変遷してきたのです。最も歴史ある中銀のひとつ、英国イングランド銀行をみても、最初は金融システムの安定のための『最後の貸し手』としての役割が意識されていました。中銀の役割に金融政策が登場してくるのは、そのずっと後のことです」

 「つまり歴史的に見ても、中銀にとって中軸となる役割は、経済における金融機能の安定です。そのなかに金融システムの安定、物価安定の両方が含まれているのです。安定という観点で言えば、いちばん重要なことは、人々が金融システムの健全性や物価上昇を気にしなくてよいことです。その意味では、人々がインフレやデフレの先行きを意識し懸念する状況を起こさないことが本来の使命だと思います」

 「1929年に米国で始まった大恐慌のあと、しばらくは経済学者ケインズの理論をもとに、インフレ抑制には金融政策、デフレ脱却には財政政策という役割分担が専門家たちのあいだの標準的な議論になっていました。ただ、20世紀終盤になってくると、大恐慌の経験が忘れ去られ、ケインズ経済学への批判が高まる中で、中央銀行への期待が過度に高まりました。そしてインフレもデフレも金融政策で解決できる、という幻想が生まれたのではないでしょうか」

 ――いま物価高騰にこれだけ国民から悲鳴があがっています。それなのに日銀があいかわらず2%インフレ目標を掲げ続けることは好ましいことでしょうか。

 「(米国の中央銀行である)FRBの元議長グリーンスパン氏がかつて、人々が物価のことを気にしなくなった状態が物価安定状態だ、という趣旨のことを述べています。ではどんな状態なら物価を気にしなくなるでしょうか。それは年金や賃金との相対関係において決まると思います。賃金が平均的に毎年10%上がる経済なら、たとえ物価が5%上がってもあまり気にしないでしょう。しかし、賃金が下がっている世界では、物価が1%上がることにも強い抵抗感があるはずです。年金だって制度設計によって実質価値が十分保証されているなら、インフレへの関心がこれほど高まることもないでしょう」

 「こうした観点から言えば、賃金の上昇などと無関係に『2%のインフレこそが物価安定』と日銀が標榜しても、人々がかんたんにインフレを受け入れるはずがありません。黒田総裁の『家計は値上げを許容』発言が大きな話題になったのは、そのためでしょう。2%目標の持続的達成を物価安定と定義してその達成に躍起となっている日銀。賃金や年金を勘案しながら物価上昇を気にかける国民。両者の物価安定観の違いが表面化したのだと思います」

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筆者

原真人

原真人(はら・まこと) 朝日新聞 編集委員

1988年に朝日新聞社に入社。経済部デスク、論説委員、書評委員、朝刊の当番編集長などを経て、現在は経済分野を担当する編集委員。コラム「多事奏論」を執筆中。著書に『日本銀行「失敗の本質」』(小学館新書)、『日本「一発屋」論 バブル・成長信仰・アベノミクス』(朝日新書)、『経済ニュースの裏読み深読み』(朝日新聞出版)。共著に『失われた〈20年〉』(岩波書店)、「不安大国ニッポン」(朝日新聞出版)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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