リフレ派と30年前に論争、元日銀金融研究所長の翁邦雄さんに聞く
2022年07月27日
安倍政権によるアベノミクスも、日本銀行の異次元緩和も、その源流は「インフレもデフレも貨幣的現象」と主張するリフレ論にある。その是非をめぐる論争は1990年代前半に始まった。
リフレ派の重鎮で、その後、安倍政権下で日銀副総裁も務めることになる岩田規久男・上智大教授(当時)と、日銀を代表する論客の翁邦雄・調査統計局企画調査課長(当時)の間で繰り広げられた「岩田・翁論争」だ。リフレ論を実践した異次元緩和はいったい何を成し遂げ、世の中に何をもたらしたのか。論争の当事者、翁氏に聞いた。
〈おきな・くにお〉 1951年生まれ、1974年東京大経済学部を卒業し、日本銀行入行。シカゴ大Ph.D取得。日銀金融研究所長、京都大教授などを経て、現在は大妻女子大特任教授、京都大公共政策大学院名誉フェロー。著書に『人の心に働きかける経済政策』『移民とAIは日本を変えるか』『金利と経済―高まるリスクと残された処方箋』などがある。
――リフレの是非論争は1990年代初めころにあった翁-岩田論争が最初でした。リフレ論から始まった異次元緩和は結局、この9年間で日本に何をもたらし、何を変えたのでしょうか?
「10年ほど前、異次元緩和前夜のころですが、リフレ派と呼ばれる人たちが考えていたことは主に二つありました。第一に、デフレが日本経済の停滞の根源だということ。第二に、『インフレはいつでもどこでも貨幣的現象』というマネタリストの巨頭ミルトン・フリードマンの箴言です。この二つを組み合わせて『日銀が大胆な金融緩和をすればインフレ目標は達成できるし、日本経済の停滞は突破できるはずだ』と考えたのです」
「とはいえ、フリードマンの言葉は論理的に証明されたものではなく、キャッチフレーズのようなものでした。そもそも金利には下限があり、それに到達した場合、金融政策の有効性は大きく制約される、というのがケインズの『流動性の罠』以来の議論です。まさにその制約下にあった日銀は、異次元緩和を9年やっても2%インフレ目標が達成できないことを証明してしまいました。自在にインフレ率を動かすことなどできなかったのです」
「日銀はそれでも『デフレではない状況を実現した』というあいまいな成果を主張しています。しかし日本経済の停滞は異次元緩和以前と同じように続いているし、賃金は上がらず、潜在成長率は下がり続けています」
――「変えられなかったもの」だけでなく、異次元緩和のせいで「失ったもの」もあるのではないですか。
「財政規律でしょう。異次元緩和によるマイナス金利政策と大量の国債購入は政府の利払いコストを低減させました。それによって政府や国民の財政規律の意識がすっかり薄くなってしまいました。財政拡大への依存が強まるなかでワイズ・スペンディング(予算を賢く使うこと)の意識を後退させ、選挙前には与野党が公約で財政出動の規模を競い合い、バラマキ合戦と揶揄されるような状況を作り出してしまったと思います」
――この春、消費者物価上昇率は日銀が目標としていた2%に達しました。それでも日銀は金融緩和をやめません。その点をどう評価していますか。
「私は日銀が『2%』という数値にこだわることに意味は見いだせません。日銀法第2条で定められているのは『日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする』ということです。そう、日銀法に消費者物価上昇率2%という水準自体が定められているわけではありません。法が期待するのはあくまで「国民経済の健全な発展に資する」ための物価安定です。そう国民が感じられる物価安定は経済や賃金などの状況によって、あるときは2%をかなり上回ることもあるし、下回ることもあり得るはずです。物価安定を特定の数値に結びつけたところに、そもそも無理があったのです」
「足元の物価上昇は、原油や天然ガスなど輸入価格高騰が起点です。そのような供給ショックで物価が上昇するときに金融を引き締めると、景気悪化を加速する可能性があります。だからインフレが2%に到達したから金融引締めすべきだとは必ずしもいえません。ただし、2%の数字にこだわってきた日銀がいまインフレの中味を問題にして金融 緩和を修正することを拒むのは、議論としては『後出しじゃんけん』のような印象を受けますね」
――後出し、ですか。
「そもそもアベノミクスでは、良いデフレも悪いデフレも存在しない、インフレ率を上げることが至上命題、との立場だったはずです。それを踏まえて、黒田東彦総裁は就任記者会見で『2%の物価目標をできるだけ早期に実現するということが、日本銀行にとって最大の使命』との姿勢を示しました。そのために採用したのが異次元緩和です」
「だからこそ、2014年に原油価格が低下し日本の交易条件が改善する『良いデフレショック』が起きたときでさえ、金融緩和による円安で物価への影響を打ち消しました。こうした経緯をみると、表面的な数字を重視するのか内容を重視するのかについての日銀の座標軸は まったく一貫していません。それによって金融政策がますます理解されにくくしています」
――中央銀行とは「インフレファイター(インフレと闘う組織)」として設けられた組織ですよね。その中央銀行が「物価上昇」をめざすことが妥当なのかどうか。
「確かに、1990年代に先進諸国で進んだ中央銀行法改正の動きも、その延長線にあるユーロ圏の中央銀行ECB(欧州中央銀行)設立の理念も、インフレファイターの側面を色濃くもっていました。ただ、もう少し長い目で歴史を振り返ると、実は中央銀行の目標は変遷してきたのです。最も歴史ある中銀のひとつ、英国イングランド銀行をみても、最初は金融システムの安定のための『最後の貸し手』としての役割が意識されていました。中銀の役割に金融政策が登場してくるのは、そのずっと後のことです」
「つまり歴史的に見ても、中銀にとって中軸となる役割は、経済における金融機能の安定です。そのなかに金融システムの安定、物価安定の両方が含まれているのです。安定という観点で言えば、いちばん重要なことは、人々が金融システムの健全性や物価上昇を気にしなくてよいことです。その意味では、人々がインフレやデフレの先行きを意識し懸念する状況を起こさないことが本来の使命だと思います」
「1929年に米国で始まった大恐慌のあと、しばらくは経済学者ケインズの理論をもとに、インフレ抑制には金融政策、デフレ脱却には財政政策という役割分担が専門家たちのあいだの標準的な議論になっていました。ただ、20世紀終盤になってくると、大恐慌の経験が忘れ去られ、ケインズ経済学への批判が高まる中で、中央銀行への期待が過度に高まりました。そしてインフレもデフレも金融政策で解決できる、という幻想が生まれたのではないでしょうか」
――いま物価高騰にこれだけ国民から悲鳴があがっています。それなのに日銀があいかわらず2%インフレ目標を掲げ続けることは好ましいことでしょうか。
「(米国の中央銀行である)FRBの元議長グリーンスパン氏がかつて、人々が物価のことを気にしなくなった状態が物価安定状態だ、という趣旨のことを述べています。ではどんな状態なら物価を気にしなくなるでしょうか。それは年金や賃金との相対関係において決まると思います。賃金が平均的に毎年10%上がる経済なら、たとえ物価が5%上がってもあまり気にしないでしょう。しかし、賃金が下がっている世界では、物価が1%上がることにも強い抵抗感があるはずです。年金だって制度設計によって実質価値が十分保証されているなら、インフレへの関心がこれほど高まることもないでしょう」
「こうした観点から言えば、賃金の上昇などと無関係に『2%のインフレこそが物価安定』と日銀が標榜しても、人々がかんたんにインフレを受け入れるはずがありません。黒田総裁の『家計は値上げを許容』発言が大きな話題になったのは、そのためでしょう。2%目標の持続的達成を物価安定と定義してその達成に躍起となっている日銀。賃金や年金を勘案しながら物価上昇を気にかける国民。両者の物価安定観の違いが表面化したのだと思います」
――政界では、いくら国債を発行して財政を拡大してもかまわないという「MMT(現代金融理論)」や、それに影響を受けた主張が広がっています。MMTの評価は?
「財政学者ではないので、外野的な印象ですが、当たり前のことを言っている部分と、非現実的な部分が混在していますね。当たり前なのは、
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