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英ケンブリッジ大で研究が進む「フェイクニュース・ワクチン」

デマというパンデミックの進行を遅らせるために

小林啓倫 経営コンサルタント

 今年8月2日、トヨタの豊田章男社長をめぐる奇妙なニュースがネットを駆け巡った。この日、豊田社長が記者会見を開き、「私は新型コロナウイルスのワクチンを接種していない」「ワクチンはDSが用意した遅効性の毒で、打つと2年以内に死ぬ」などと発言したというのである。もちろんこれはまったくのデマで、豊田社長はこのような発言はしていないし、そもそも記者会見をしたという事実もなかった。いわゆる「フェイクニュース」だったわけだ。にもかかわらず、このニュースはTwitterを中心として拡散され、一時的だが同サイトのトレンド入りを果たすまでに至っている。

 このフェイクニュース、発信源となったのは個人ブログだったのだが、一見するとニュースサイトと見間違えてしまうようなデザインとなっていた。またこの記事を発信したTwitterアカウントも、Yahoo!ニュースの公式Twitterアカウントそっくりに偽装されていた。つまり積極的に騙すように仕組まれていたわけで、信じて拡散する人がいても仕方のない側面があったと言えるかもしれない。

 一方で、「DS」のように最近の陰謀論で頻出する単語が使われていたり(DSとは「ディープステート」の略で、政府の中に存在する秘密の組織や権力者を意味し、彼らが産業界など他の分野の権力者と共に世界を牛耳っているという陰謀論がある)、ワクチンのように雑多な情報が入り乱れているテーマを扱っていたりと、フェイクニュースを疑う要素は十分にあった。

Alexander Limbach/Shutterstock.com

 実はいま、そうした要素に気づけるように人々を導くことで、フェイクニュースへの耐性をつける「ワクチン」のような取り組みができないか――いまそんな研究が進んでいる。

人間の心理を操作する5つの手法

 今年8月、英ケンブリッジ大学心理学部の研究者らが、興味深い論文を発表した。タイトルはPsychological inoculation improves resilience against misinformation on social mediaで、直訳すれば「心理的予防接種がソーシャルメディア上のデマに対するレジリエンスを向上させる」という意味になる。彼らはこの論文において、デマにおいて使われることの多い、人間の心理を操作する5つの手法(感情に訴える表現、一貫性の無い内容、誤った二項対立、スケープゴート、個人攻撃)から人々を守る5本の短編映像を開発したと主張している。

 それぞれの手法について解説しておこう。まず「感情に訴える表現」は、「激怒、怒り、その他の強い感情を呼び起こすために、感情を操作するレトリックを使うこと」と説明されている。「一貫性の無い内容」は、複数の互いに矛盾するような主張を(当然ながら意図的に)行うこと、「誤った二項対立」とは、実際には対立していない二つの選択肢を対立しているかのように見せたり、二つ以外に選択肢が無いかのように見せかけたりすることを指す。「スケープゴート」とは、文字通り、特定の個人もしくは組織を「スケープゴート(いけにえ)」にして、「悪いのは彼らが原因だ」というような主張を行うこと。そして「個人攻撃」は人格攻撃などとも呼ばれるもので、特定の主張に正面から反論するのではなく、その主張を行った人物の性格や行動、バックグラウンドなどを攻撃することを指す。

 こうした手法を使って拡散されるフェイクニュースに対抗する手段として、いま一般的に行われているのが、この連載でも取り上げている「ファクトチェック」(広く流布されている情報を取り上げてその真偽を確かめ、結果を広く告知する行為)だ。前述のトヨタ社長をめぐるデマでも、すぐに複数のサイトで事実検証が行われて、事実ではないとして否定された。

 しかしファクトチェックの場合、当然ながら事後対応となるため、「影響継続効果」と呼ばれる現象が起きてしまうと今回の論文の研究者らは指摘している。誤報を否定する情報が、誤報に接してしまった人々全員に届くとは限らず(往々にして誤報のようにセンセーショナルな情報の方が広く拡散する)、また否定情報の方を信じてくれるとも限らないためだ。

オンライン動画で「予防接種」

 その代替として開発されたのが、

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