政治に翻弄された農政の軌跡から見えてくる揺り戻しの正体とは
2022年10月11日
食料安全保障の強化や1次産業の成長産業化などを理由に、食料・農業・農村基本法が見直されることになった。これまで、農政は政治と圧力団体に左右されてきた。同時に、農政は国内政治以外の事情にも大きく左右されてきた。本稿では、政治に翻弄された戦後農政の軌跡を紹介し、基本法見直しの背景に何があるのかについて、解説したい。これが理解できれば、農林水産省等がどういう方向で基本法を見直そうとしているのかがわかるだろう。農林水産大臣は国民の各層の意見を聴くと言っているが、方向性は決まっているはずだ。
農地改革は、戦前から小作人解放のために努力した農林官僚の執念が実現したものだった。しかし、これによって自作農=小地主が多数発生し、戦前からの零細農業構造がむしろ固定されてしまった。
最初農地改革に関心を示さなかったマッカーサーのGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、やがてその政治的な重要性に気付く。終戦直後、小作人の解放を唱え、燎原の火のように燃え盛った農村の社会主義運動は、農地改革の進展とともに、急速にしぼんでいった。農地の所有権を獲得し、小地主となった小作人が、保守化したからだ。これを見たGHQは、保守化した農村を共産主義からの防波堤にしようとして、“自作農”という農地改革の成果を固定することを目的とした農地法(1952年)の制定を農林省に命じた。
農政官僚たちは、農地改革の後に零細な農業構造改善のために“農業改革”を行おうとしていた。1948年の農林省「農業政策の大綱」は「今において農業が将来国際競争に堪えるため必要な生産力向上の基本条件を整備することを怠るならば、我が国農業の前途は救いがたい困難に陥るであろう。」と述べている。この時、既に国際競争が意識されていたことは注目に値する。彼らは、現状を固定する農地法の制定に抵抗した。他方で、地主階級の代弁者だった与党自由党も、農政官僚とは逆の立場から、農地法には反対した。
しかし、のちに総理大臣となる池田勇人は、GHQと同様、農村を保守党の支持基盤にできるという、農地改革・農地法の政治的効果にいち早く気付いた。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください