表層的な「近代」と経済一辺倒の果てに行き場を失った個人
2022年10月23日
思想家・佐伯啓思さんに聞く「アベノミクスとは何だったのか」(上)では、山上事件や経済思想、保守思想を通してアベノミクスを歴史的に位置づけていただいた。今回の(下)では、昨今の急激な円安問題、世界最悪水準の政府債務問題、それらをもたらした政治問題にも視野を広げつつ、歴代政権の中でもかなり異質な安倍政権の経済政策を論評していただく。
〈さえき・けいし〉 1949年奈良県生まれ。思想家。東京大学経済学部卒、東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。滋賀大学教授、京都大学大学院教授などを歴任。現在は京都大学名誉教授、京都大学人と社会の未来研究院特任教授。著作でサントリー学芸賞、東畑記念賞、読売論壇賞などを受賞。朝日新聞に不定期にコラム「異論のススメ スペシャル」を寄稿している。これらの論考をもとに今年「さらば、欲望」(幻冬舎新書)を出版。
――いま急速に進む円安は、日本経済が弱くなった証しとも言えるのではないでしょうか。大多数のエコノミストは「来年にはまた円高に転じる」と見ています。ですが、貿易赤字が恒常的に続きそうな今の状況で果たして本当にそうなるか疑問です。
「その見方には賛成です。近い将来、日本の株式市場がどういうことになるか。先行き日本経済に期待ができないということになれば、海外資本は日本には流れてこないでしょう。日本の将来についての期待はものすごく弱いと思います。それは経済だけの話ではすみません。軍事、国際政治、政治的な能力、全部かかわってくる問題です」
――日本政府の歳出額は社会保障予算を除くと、GDP比では先進国で最低水準です。新興国経済は米国が利上げすると、資本流出が起きて通貨安となり苦しい状況に陥ることが多いですが、今の日本はまさにそういう状況に近い。日本も、いよいよ新興国のような経済になってきたのではないですか。
「その指摘にも賛成です。ただ、どうしてそうなったかと言えば、財政政策の失敗というだけではなく、もっと根本的な問題があるということでしょう。1980年代にバブル経済になりましたが、そのとき日本はおカネの使い方を間違えました。日本企業が米国のロックフェラーセンターを買収するとか、土建関連や地上げなどと絡んで、ただただバブルを作って喜んでいました。そのときにもっと学術や福祉、研究開発、国土保全などにおカネを使っておけば良かった。90年代に米国がIT革命をやったときには、日本もそれに対抗できるような戦略をもって人材を育てるべきでした」
「その前から自民党政権がやってきたのは『経済成長さえできればいい』ということです。そのために自民党が差配して、いろんなところに配る政治をやってきました。世論もそれを後押ししてきました。ただ中曽根政権あたりで、政治が主導して経済成長させるのはまずい、ということになってきました」
「ところがそこで、85年のプラザ合意をきっかけにバブル経済となって、90年代初頭にはバブルが崩壊してしまった。本来は80年代のバブル期のうちに、うまいカネの使い道を考えておけば良かったのです。真に重要な公共計画が求められたのです。しかし、実際には新自由主義に転換して、結局何もできなかったし、その過程でまともな国土計画さえなくなってしまいました」
――80年代くらいまでの政治家にはそういう問題意識もありました。たとえば大平正芳政権では、「大平政策研究会」で学者や文化人、若手官僚を集めて日本の未来を展望しようとしました。
「そうです。当時、僕は大学院生でしたが、東京大教授だった村上泰亮さん、佐藤誠三郎さんらは大平政権や中曽根政権などで国家戦略づくりに陰に陽にかかわっていたようです。あの時代、そういう長期的展望をもてる学者と政治のトップとが、ある程度いい関係をもつことができていました。大平さんは学者の意見を聞こうとしたし、中曽根さんにもそういうところがあった。そのあと、残念ながらそういう首相がいないですね」
――「三角大福中」と言われた歴代首相のころまでは学者の意見に耳を傾ける時代でしたね。独断専行のようなイメージのある田中角栄首相にだってそういうところがありました。
「そうです。日本列島改造論も批判されたが、裏日本と呼ばれた地域にもおカネを回す政策はどこかで一度必要だったのだろうと思います。大平さんの田園都市構想も田中角栄とは違うかたちで、地方も含めた日本の再建ということを考えたものでした」
「デフレ脱却と成長を成し遂げられなかった安倍政権は、何を『保守』したのか~佐伯啓思氏に聞く(上)」はこちら
――佐伯さんは著書で「政治家は国家の長期的な方向を示すべき存在であり、『旗』をたて、その旗のもとに結集すべく人々を説得する『指揮官』でもある」と書かれています。現代の政治家もそうあってほしいものです。
「そうです。しかし民主主義というのは本当に難しいですよ。周囲からはいろんな要求が来る。そして、あれを説明しろ、これを説明しろと言われる。そう簡単じゃない」
――以前、あるインド研究者が「インドには偉大な政治家が生まれる。だが偉大な政治家が生まれる社会がいい社会とは限らない」と言っていました。それで言えば、偉大な政治家が生まれなくなった日本は、それほど悪くない社会ということなのでしょうか。
「僕は今日の日本の政治家というのは、余計なことはしないほうがいい、と感じているんです。一つの理由は、いま日本社会は限界まできている。だからAという方向でプラスを求めれば、必ずBという方向でマイナスが出る。何かをやれば必ず反発が出る。そのこと自体が政治を不安定化する。政治をコロコロ変えていかざるをえなくなる。やるとしても、ほんの微調整くらいで、いまある状態を維持することくらいしかできないだろうと思うのです」
――それが「保守」ですね。それで言えば、アベノミクスはその対極にあります。現状の均衡状態を根本的に変えようと試みたのですから。
「そうですね。まだ何とか動かせると思ったのでしょう」
――それは間違いだったのではないですか。
「僕は間違いとまでは言い切れません。政治家だったら誰でもやろうとしたかもしれない。たとえば、政治家が国民に向かって『もう成長はあきらめます。ゼロ成長でもいいじゃないですか』とか、『世界で冠たる国ではないかもしれないが、これまでのストックをうまく使って10年後、20年後に国民がそこそこ満足できる、普通のいい国にしましょう』なんて言えますか? よほどの政治家でないと言えないですよ」
――それでも必要なら言うべきではないですか。「旗を立てる」とはそういうことですよね?
「僕も本当は安倍さんにはそう言ってほしかった。安倍さんぐらいしか言える可能性はなかったでしょう。でも経済は民主党政権でガタガタになってしまって、デフレ経済になるし、日本政治そのものが世界からの信頼を失い、メディアも経済成長を求めている。そのなかでは無理だったとも思うなあ」
――理想としては言うべきだが、日本の現実では無理ということですか。
「それ以前に政治家がそういうことを考えていないということです」
――政治家が劣化した、と?
「そうです」
――社会も劣化しているのではないですか。
「むしろそちらの方が大きいかもしれません。政治家は言えないが、ジャーナリズムは言える。マスメディアがそうした議論をすれば、政治も動くでしょう。だからマスメディアが言うべきですよ。朝日新聞も読売新聞もね」
――メディアにも罪があるというのは認めます。アベノミクスをもてはやしたのもマスメディアでしたから。
「ただ本当の問題は、
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