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高橋治之、竹田恒和を結び五輪汚職の温床にもなった「慶応三田会」 正と負の吸引力の源泉

華麗なる学閥を支える評議員選挙の狂騒

石川智也 朝日新聞記者

 東京オリンピック・パラリンピックをめぐる汚職事件では、受託収賄容疑などで逮捕・起訴された大会組織委員会元理事の高橋治之被告を含め、慶応義塾大学出身者が深く関わっていたとされる。

 元理事が駆使した「慶応人脈」の力の源泉はどこにあるのか。日本随一の学閥の最新事情をあらためて探ってみた。

卒業生だけが入れる会員制クラブ

 東京・日比谷の帝国ホテル地下1階。ブティックや料亭が並ぶ一画に、注意しなければ通り過ぎてしまいそうな部屋がある。目立たぬ色調の木製扉は常に閉じられ、小さな「会員専用」のプレートが無言で部外者を拒む。

 上階にはセレブ御用達の会員制バー「ゴールデンライオン」もあるが、閉鎖性ではこの部屋の方が上かもしれない。ここは慶応義塾大の卒業生しか普段足を踏み入れられない社交クラブ「東京三田倶楽部」。

 会員で、学校法人慶応義塾の最高決議機関「評議員会」の元メンバー西富亮介(47)に頼み入室の機会を得た。政財界の歴々が並ぶ評議員会に2006年、当時31歳の会社員で名を連ね、メディアの話題になった人物だ。

慶応義塾の元評議員、西富亮介=帝国ホテル内にある「東京三田倶楽部」で慶応義塾の元評議員、西富亮介=帝国ホテル内にある「東京三田倶楽部」で

 「中は普通ですよ」と西富が言うとおり、調度品に特に高級感はなく飲食物の値も居酒屋並み。入会金10万円、年会費7万2千円もゴールデンライオン(それぞれ55万円、13万2千円)に比べれば割安だが、入会には会員2名の推薦と面接審査を経なければならない。会員数は約600人。ソファで談笑するビジネスマンの物腰はあくまでスマートだ。週末は同窓会の会場になるが、ホテル入り口にそれが告知されることはない。

 東京三田倶楽部は、全国いや世界に広がる慶応の同窓組織「三田会」の一つである。そして、そのあり様は三田会全体の性格を示しているかのようだ。存在は控えめだが、内外意識が強く、どこか秘密めいている。

帝国ホテルの地下1階にある「東京三田倶楽部」帝国ホテルの地下1階にある「東京三田倶楽部」

「3人寄れば三田会」宇宙にも早稲田にも

 慶応の卒業生「塾員」は約40万人。三田会は主に「卒業年度」「地域」「勤務先・職種」ごとに約880団体あるが、これは「慶応連合三田会」に加盟している団体のみの数字で、この他に大学や連合三田会が把握しきれていないものが数百はあると言われている。名だたる企業にはほぼ存在し、トヨタ自動車、三菱商事、三井物産、富士通などは会員数1千人を超える。

 慶応には「3人寄れば三田会」という言葉があるほどで、歯学部がないのに「歯科三田会」があることも、向井千秋や星出彰彦も入会した「宇宙三田会」が存在することも、塾員には自慢のタネだ。

 さらに象徴的なのが「早稲田三田会」だろう。「この世で早稲田にだけ三田会が存在しない」と冗談交じりに言われていたが、2002年、早大で働く教職員約20人で発足。ついにライバル校に楔を打ち込んだ。

 ちなみに、あらためて調べてみたところ、筆者の勤務先にも「朝日新聞三田会」はちゃんと存在していた。

 三田会の結束力と母校愛は、他大学からは半ば憧憬、半ば揶揄をこめて語られる。慶応は2008年の創立150年の募金で、三田会がフル回転し目標額の250億円を早々に達成、最終的に285億円を集めた。一方、1392団体、67万人(2022年)と、数字上は三田会をはるかにしのぐ校友組織「稲門会」を持つ早稲田は、2007年の創立125周年募金の目標200億円がなかなか集まらず、要請DMを卒業生に送り1年遅れで達成した。

 近年は早稲田もネットワーク強化に動き、2032年の創立150年に向けて寄付金を年100億円に増やす目標を掲げ(2021年度は物品を含め約46億9千万円)、ホームカミングデーなどを通じて稲門会の組織化と拡大を進めている。2000年代以降の学部改編や国際教養学部の新設、教育力の強化によって「バンカラ早大生」のイメージも様変わりしている。

 それでも、古くから言われる「群れる慶応と一匹狼の早稲田」の図式は相変わらず崩れていないようだ。「慶応稲門会」はむろん存在しない。

「社中協力は慶応の生命線」

 こうした慶応生の「習性」の根っこには、創立者福沢諭吉の「社中協力」の思想がある。在学生と塾員と義塾が相協力するこの態勢を、かつて慶応義塾理事(塾員担当)を務めた井田良・慶大名誉教授は「義塾の生命線」と言明した。

 慶応では卒業式が終わったその場で「(卒業)年度三田会」の結成式が開かれ、連合三田会から事務経費の目録が渡される。卒業しても一生涯、義塾との紐帯が続くことが、こうして強く刻印される。

 「人脈が力」の伝統は、慶大生の就職の強さにも直結している。ゼミ代表の学生に「ウチの銀行の説明をさせてくれ」と名も知らぬ卒業生から突然電話がかかってくることも、経済学部や商学部ではよくある風景。廃れたとされるリクルーター制度も健在だ。元評議員の西富は、入学直後に受けたカルチャーショックが今も忘れられないという。

 「早慶戦の後のサークルやゼミのOB会が、ホテルで開かれる。その場に来るOBを目当てに、現役の塾生もみなスーツ姿で名刺を持って参加する。驚きました」

 こうして早くからビジネスマナーを学ぶ機会が、各企業の採用担当者が口をそろえる慶大生の社交性とソツのなさを培っていることは間違いないだろう。

銀座の時計塔前で服部セイコー社長の服部礼次郎さん(当時64)=1985年7月4日、東京都中央区銀座4丁目 1987年から2013年まで連合三田会会長を務めた故・服部礼次郎=1985年7月、東京・銀座
 「三田会はただの同窓会の枠を超え、様々な恩恵を得られるところ」と言い切る西富は現在、「東京三田倶楽部」以外にも3団体の会員だ。入会金や年会費を取らない会も多いが、活動に熱心な塾員ならこうした複数所属は珍しくない。定期的に集まっても月並みな宴と催しが開かれるだけだが、「三田会人脈を使えば会社の幹部でもアポが取れる」(某不動産会社社員)とあらば、年数万円程度の木戸銭がどうして高かろう。 

 このように、三田会の特徴はその多重構造にある。こうした仕組みを戦後に整えたのが、1987年から2013年まで連合三田会の会長を務めた故・服部礼次郎(セイコーホールディングス社長・会長・名誉会長を歴任)だ。服部は生前、「三田会には上部下部という組織はない。ピラミッド構造ではなくネットワークであることが強みになっている」と語っていた。

 もっとも、「強み」の理由はそれだけではない。連合三田会の役員に名を連ねるのは、これまでも、現在も、挙げていけばきりがないほど財界のトップばかり。顧問には小泉純一郎、小沢一郎といった名も並ぶ。

 日本一エスタブリッシュな銀座4丁目の交差点を睥睨する時計塔の主の服部が、この連合三田会の会長を四半世紀務めていたのも、なにか象徴的に思える。

評議員選挙“狂想曲”が批判の的に

 しかしながら、三田会のあり方は近年、批判を浴び続けている。

 慶応義塾は4年に一度のワールドカップイヤーに、政治の季節がやってくる。全塾員40万人が投票権を持つ評議員会選挙だ。今年がまさにその年で、10月3日が投票の締め切りだった。

 評議員101人のうち、塾員が直接選挙で選ぶ「卒業生評議員」枠は30人。今回の候補者は60人で、いつも通り、大林剛郎・大林組会長、勝野哲・中部電力会長、永野毅・東京海上ホールディングス会長、三毛兼承・三菱UFJフィナンシャル・グループ会長といったそうそうたる顔ぶれとなった。

 「批判」とは、毎回毎回、企業単位の組織的な集票活動が問題となり、その狂騒ぶりがメディアでも度々取り上げられてきたからだ。自社や取引先からの候補を当選させるべく、投票用紙を白紙のまま確保しようと、各三田会がいつも以上に活発化する。慶応義塾は2010年以降、「行き過ぎた集票行為」について「品位を欠くものであるとの批判を頂いている」「投票用紙の譲渡は禁止されている」と自重を促してきた

慶応義塾の卒業生評議員選挙の投票用紙。これを白紙のまま手に入れようと、多くの人が暗躍する慶応義塾の卒業生評議員選挙の投票用紙。これを白紙のまま手に入れようと、多くの人が暗躍する

 大手ゼネコンの大成建設ではかつて、専務をトップに据えた「事務局」を営業総本部内に置き、全社を挙げて集票に取り組んでいた。社員が図書カードを謝礼に4桁単位の投票用紙を集め、候補者を出している取引先に分配した。カネカは会長が立候補した2010年、納入業者らに資材部長名で「投票用紙の取りまとめ」を依頼していた。

 義塾による呼びかけの効果か、報道への警戒からか、こうした露骨な集票活動は、今回は鳴りを潜めているようにも見える。しかし、罰則があるでもなく、水面下では状況は変わっていない。

 明治大出身の某印刷大手の社員は、やはり慶応とは無関係の上司に命じられ、友人や知り合いに塾生がいないか必死に探した。「取引先の暗黙の要請に応えるため」だという。

最高機関の評議員会は慶応の「国会」?

 無報酬の評議員になぜここまで固執するのか。他大学出身者からすれば理解を超えている。

 「評議員会」自体は私立学校法に定められた組織で、どの学校法人にもある。ただ、大抵は理事会の諮問機関的位置づけにとどまる(日大前理事長の脱税事件など相次ぐ私大の不祥事を受けて、文部科学省は現在、評議員会の権限強化を図る法改正を検討中)。

 ところが慶応の場合は、理事会よりも古い「最高決議機関」として、理事長兼学長である「塾長」の選任、予算承認、学部設置など強い権限があるのが特徴だ。なおかつ、その評議員の大半を塾員が直接・間接の選挙で選ぶ。

 卒業生の意思を強く経営に反映できるこうしたシステムは、他の主要私大では見られない。その起源は明治10年代、義塾が財政難に陥った際、卒業生から集めた寄付金を信託管理する仕組みを作ったことにある。これは米国東部の名門私大の運営方式を採り入れたものとされる。

 後の法人化に伴い作られた理事会よりも、法律よりも、慶応の評議員会の歴史は古い。「社中協力」は制度としても義塾運営の中核にあるということになる。

 慶応関係者は「国民主権」をもじって「塾員主権」という言葉を使う。つまり評議員会を国会、執行機関である理事会を内閣になぞらえているわけだ。

 しかし実際のところ、この「最高機関」は国会というよりは戦前の帝国議会、それも貴族院に近いのではないか。

 実は、各界の要人が並んだ今回の60人の卒業生評議員候補者のうち、56人は理事会が推薦した候補者だ。他4人は、塾員100人以上の署名を集めれば候補者になれるという制度を使って立候補した。もっとも、この4人の肩書は「衆議院議員・財務大臣政務官」「西日本鉄道相談役」「西山電気社長」「慶応義塾名誉教諭」と、組織票が期待できる面々ばかり。

 西富亮介も2006年、この制度を使って友人たちの署名を集め立候補した。コンサルタント会社のヒラ社員という立場ながら次点から繰り上げ当選、話題をさらったのも、組織票を持つ候補をおさえて勝ち上がることがいかに珍しいかを物語る。

 しかも、さらにカラクリがある。

 投票終了後の今年10月31日に発表された今期の新評議員には、落選した候補者30人中なんと29人が名を連ねていた。

 これは、当選組30人と、前期評議員会の推挙で既に無選挙で選ばれていた25人との合議で、有為の人材30人を「塾員評議員」として選ぶ仕組みがあるためだ。青井浩・丸井グループ社長、今井義典・NHK会友、杉江俊彦・三越伊勢丹会長、宮内正喜・フジテレビジョン会長らもこのカラクリで救済された。

 各候補者の得票数や塾員評議員の選出過程は、一切公表されていない。慶応義塾広報室は「評議員選挙の運営につきましては、関連の会議体で定められたことに則って行っており、基本的には前例に倣って進めてまいりました」とだけ説明する。

 結局のところ、評議員会は実業界を中心にした三田会人脈の頂点に位置している――それが過熱の一番の理由だ。現評議員の多くは連合三田会の役員出身あるいは兼務者で、ここまで一流企業のトップが並ぶ組織は他に経団連ぐらいだろう。評議員会は「最高の三田会」の異名もある。

 企業人の塾員が評議員選挙の集票に熱心なのは、評議員候補者を陰に陽に支援し三田会人脈の中枢に近づくことで、有形無形の利益があると期待させるからに他ならない。

内部進学者が醸し出す「慶応」のイメージ

 人脈の影響力は時に企業そのものの関係にも及ぶ。三越と伊勢丹の「結婚」も、あるいは破談になったキリンとサントリーの統合話も、トップ同士が慶応の同窓だったことから始まったことは有名だ。

 加えて、さらにセレブ感を醸し出しているのは、オーナー企業や同族企業、創業家出身のトップが多いことだろう。日清食品ホールディングス、大正製薬、中外製薬、資生堂、大林組……挙げれば枚挙にいとまがないこうした世襲経営者は、親子にわたって慶応出身だったり、幼稚舎(小学校)からの進学組だったりする場合が少なくない。

 「慶応ボーイ」という言葉で世間がイメージするカラーや文化を作っているのは、幼稚舎からの内部進学組だ(山内マリコ著『あのこは貴族』では、そのあたりがかなり戯画的に描かれている)。ただ、彼ら自身は「慶応的なるもの」を意識はしない。中華思想もない。母校愛が強く三田会の活動に積極的なのは、むしろ大学からの入学組だ。

 「マージナルな存在ほど、中心に近づきたがる。これは信仰の構造、あるいは秘密結社の力学と同じ」。『慶應三田会』の著書もある宗教学者・島田裕巳の解説である。

 実際には「秘密」など存在しない。それでいて秘密性はあり、そのこと自体は公然である。なんとも逆説的だが、排他的かつオープン、そして社会的プレステージがある。まさにフリーメイソンのように――ということかもしれない。

1972年9月27日、三越三田会の総会に続々つめかける三越の慶応ボーイたち=東京都千代田区内幸町の帝国ホテル1972年9月27日、三越三田会の総会に続々つめかける三越の慶応ボーイたち=東京都千代田区内幸町の帝国ホテル

五輪汚職の舞台になった慶応人脈

 同質的な結束力はいうまでもなく諸刃の剣である。そして、慶応の華麗なるブランドが負の吸引力と化した典型例が、五輪汚職だった。

 東京五輪・パラリンピックをめぐるスポンサー選定事件は最終的に5ルートに拡大し、大会組織委員会元理事の高橋治之が4回逮捕され、計15人が起訴された。東京地検特捜部の捜査の焦点の一つが、組織委副会長で日本オリンピック委員会(JOC)会長、五輪招致委理事長も務めていた竹田恒和の関与の有無だった。

 「五輪汚職」には、国内のスポンサー選定事件ともう一つ、五輪招致をめぐるIOC委員買収疑惑があり、竹田は、贈賄工作をした日本の責任者としてフランス当局の捜査対象になっている。

記者会見して疑惑を否定する竹田恒和JOC会長(当時)=2018年1月記者会見して疑惑を否定する竹田恒和JOC会長(当時)=2018年1月

 高橋と竹田を結びつけたのが慶応人脈である。竹田の次兄で三つ年上の恒治が高橋の同級生で、高橋は竹田を「カズ」と呼ぶ仲だったという。いずれも幼稚舎からエスカレーターで慶大に進んだ。

 2001年に竹田がJOC会長に就く際、電通常務だった高橋は、名誉職で無報酬だった会長職を年1500万円の有給制に変えるために尽力したとされる。そして、2014年2月、組織委の会議で高橋の理事就任を訴えたのは竹田だった(議事録による)。

 組織委会長を務めた森喜朗(早大卒)は『遺書 東京五輪への覚悟』に、竹田についてこう記している。

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