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バーナンキ氏のノーベル賞から考える経済危機と世界

「ケインズ」の有用性と金融資本主義の限界

小此木潔 ジャーナリスト、元上智大学教授

リーマン・ショック乗り切った功績

 2022年のノーベル経済学賞が12月10日、スウェーデンのストックホルムで米連邦準備制度理事会(FRB)の元議長ベン・バーナンキ氏ら3人に授与された。金融危機への対処法を改善した功績によるものだ。バーナンキ氏は同日の晩餐会のスピーチで「無知や錯誤は大きな被害を引き起こすが、経済の分野ではそれが金融危機や経済不況の形をとる」と、経済学に裏打ちされた政策の意義を語った。

 2008年リーマン・ショック時の米国の中央銀行トップとして危機に立ち向かい、収拾した自負がみなぎる言葉だ。

リーマン・ショック10年を回顧するイベントに登壇したバーナンキ氏=2018年9月12日、ワシントン

 しかし、世界的危機が過去のものになったわけではなく、むしろ繰り返されるのがグローバル化の時代だ。バーナンキ氏の受賞は、経済学と政策および経済システムをどのように磨き上げて今後の危機に備えるか、について考える契機を我々に提供している。

 FRB議長としてのバーナンキ氏の貢献を一言でいえば、リーマン・ショックで世界が再び大恐慌に陥るのを防いだということだ。

 彼は大恐慌の優れた研究者であり、その知見が危機のさなかで生かされたことによって産業の崩壊や大量失業を防いだ。そのご褒美が今度のノーベル経済学賞と言ってもいいくらいだ。

「大恐慌マニア」が経済崩壊を救う

 バーナンキ氏は回顧録『危機と決断』で2008年の危機について「米国の歴史で最悪の金融恐慌(フィナンシャル・パニック)」と振り返った。世界の金融市場がまるで凍り付いたように機能不全に陥り、巨大金融機関が連鎖倒産の危機に瀕した状況は、中小銀行が大量につぶれた1930年代の大恐慌を上回る深刻さだったと書いている。

 この危機の発端は、サブプライムと呼ばれた低所得者向け住宅ローンの乱発が招いたバブル経済だった。そのバブルが限界に達して崩壊し、住宅ローン債権を組み込んだ金融派生商品(デリバティブ)が至るところで取引停止となり、不良資産の急膨張が世界の金融機関を直撃した。

 米大手投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻を機に、世界は大恐慌のような経済崩壊と大量失業に陥りかねない状況だった。この危機をなんとか収拾できたのは、FRBを率いたバーナンキ氏が大恐慌の研究者だったという偶然のたまものだった。彼は『危機と決断』で、以下のように自らを「大恐慌マニア」と呼んでいる。

 MIT(マサチューセッツ工科大)でフリードマンとシュウォーツの本を読んで以来、私は大恐慌マニアになっていた。南北戦争など、他の時代のマニアがそうであるように、私も当時の経済状況だけでなく、政治・社会・歴史を扱った本を読みあさった。いちばん知りたかったのは――マクロ経済学の聖杯ともいえるテーマだが――大恐慌はなぜ起きたのか、そしてなぜそんなに長く続き、深い爪痕を残したのかということだ。

 研究の成果を発揮する機会がFRB議長の時に巡ってくるとは、バーナンキ氏も想像すらできなかったようだが、驚くべき確率でその機会が訪れた。

 1930年代の大恐慌のときには受け身に回って金融市場への資金供給を渋り、銀行を救済できなかったFRBが、2008年には銀行への徹底した資金供給と資本注入、さらに「流動性の罠と呼ばれる金利ゼロの状況でも、金融政策の手段は残されている」との信念に基づく「量的緩和」策で長期金利を低下させ、連邦政府による巨額の財政出動も実施した。そうして銀行救済と総需要の回復を実現したのだった。まさに中央銀行の指揮官たる大恐慌マニアの面目躍如だった。

2008年9月16日の東京。㊧米リーマン・ブラザーズの破綻を受けて日経平均株価は急落。㊨日本法人の入るロッポンギのビルの前には道陣が詰めかけた

実証された現代ケインズ経済学の有用性

 ハーバード大学やMITで学び、経済学者となってからはプリンストン大学などで教えたバーナンキ氏の専門分野はマクロ経済学と金融論だ。

 彼の経済思想はニュー・ケインジアン(現代ケインズ学派)に属する。英国の経済学者ジョン・メイナード・ケインズの流れを汲み、政府による財政・金融政策によって不況を克服し、雇用を守れるという考えだ。こうした政策が貧困層を含めたすべての人々の福祉につながる、という信念の持ち主でもある。

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