小林美希(こばやし・みき) 労働経済ジャーナリスト
1975年、茨城県生まれ。茨城県立水戸第一高、神戸大学法学部を卒業。株式新聞社、毎日新聞社『エコノミスト』編集部(契約社員)を経て、2007年よりフリーのジャーナリスト。就職氷河期世代の雇用問題、保育や看護の分野がライフワーク。『夫に死んでほしい妻たち』(朝日新聞出版)、『ルポ看護の質』『ルポ保育格差』(岩波新書)、『年収443万円』(講談社現代新書)など著書多数。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
「絶対的貧困」ではないが生活はギリギリ、将来への不安がのしかかる
格差社会の問題を解決する糸口が見えないまま、日本は「平均年収でも“普通”の生活ができない」という新たなフェーズ(局面)に入っている。中間層が完全崩壊し、日本が完全に沈没するという危機が、目の前に訪れている。
平均年収443万円――。これは、1年を通じて勤務した給与所得者の2021年の平均の金額で、国税庁が毎年発表する「民間給与実態統計調査」の結果となる。給与所得者は5270万人。平均年齢は46・9歳は、就職氷河期の中心世代と重なる。
年収額だけを見れば、「平均年収」と「普通の生活ができない」は結びつきにくいかもしれないが、この30年もの間、日本の賃金は横ばい状態。そればかりか、働き盛りであるはずの40代の男性の平均年収は金融不安が起こった1997年と比べると年間で約60万円も減っている。そこへ急速な円安と物価高によって可処分所得が減少し、「生活苦」が中間層に及んでいる現実が突き付けられている。
就職氷河期世代の問題をライフワークとする筆者は、同世代を中心とした平均年収の生活を追い、『年収443万円』(講談社現代新書)にまとめた。中流、中間層であるはずの「平均年収」の「生活」を追うと、日々、悲壮なまでの節約に励んでいる。
神奈川県に住む男性(48)は、「どこかに出かければお金を使ってしまうから、動いちゃダメなんです。じっとしていなきゃダメなんです」と話した。
少し前まで保育運営会社の本部社員だった彼の年収は520万円。妻は体調を崩し働けないため、彼の収入で家計を賄う。小遣いは月1万5000円。昼食は500円以内に収める。「外食は、基本的には、おごってくれる人としか行かない。サバイバルの毎日です」という。
小学生の娘の将来のために学資保険に入っているが、学費がどれだけかかるのか分からない。毎月赤字の生活で、「娘は高卒でいいのではないか」と思えてくる。
このような状況で男性は「もし病気でも見つかったら家族が露頭に迷うため、あえて健康診断は受けない」と断言する。目の前の生活で精いっぱいなため、老後の心配までしていられない。男性は、「自分に老後はこない」と言い聞かせている。
『年収443万円』の第一部では、こうした平均年収でも生活が辛いという現実に迫った。かつての中流であれば、そうは躊躇しないであろう、スターバックスで400~500円のコーヒーや700円のフラペチーノを飲むことや、ランチに1000円かけることが今は贅沢で、できない。
日常生活は一様に慎ましい。じゃがいも、にんじん、たまねぎの値段が高くなって、手が届かない。買い物かごに入れるのは、節約の代名詞でもある「もやし」の頻度が高くなる。買い物は地域で最も安いスーパーに行き、割引シールのある食材を最安値で買う。ペットボトルのお茶を買うのはもったいないから、職場に水筒を持参する。
決して、衣食住に困るような「絶対的貧困」ではない。それでも、子どもの学費、自分の老後資金などへの不安が大きいことで、平均年収があっても、買えない、できないことが増えつつある。
軍事費を倍増させるための増税、年金受給開始年齢の引き上げなど生活者を無視した施策が行われようとしているなか、「いったい、これからどうなるのだろう」という、得体の知れない大きな不安が襲っている。