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もち米をもっと日常に! お雑煮と赤飯だけではもったいない

こうすれば炊飯器でもおいしく作れます

柏木智帆 お米ライター、元神奈川新聞記者

 福島県の米農家との結婚を機に、東京から会津地方に移り住んで早5年。移住当初は同じ日本でありながら初めて見聞きすることがたくさんあり、平成末期においてもなお郷土色が残っていることを実感した。

正月といえば、餅入りの雑煮はなくてはならない存在かと思いきや、筆者の夫の実家では違った=gontabunta/Shutterstock.com

 そのうちの一つがいわゆる「もちなし正月」。夫の実家では正月三が日は餅を食べない。関東で生まれ育った私は子どもの頃から正月と言えば焼いた切り餅をすまし汁に入れたお雑煮が定番だったので驚いた。子どものころは正月三が日過ぎても切り餅が余るので、しばらくは餅を焼いて醤油を塗って海苔を巻いた「磯辺焼き」が朝食に出てくるなど、新年と言えば餅というイメージが定着していたというのに。

「もちなし正月」の義実家

 義実家では正月の汁物と言えばお雑煮ではなく「こづゆ」。干したホタテの貝柱を出汁に、豆麩、里芋、たけのこ、人参、ちくわ、こんにゃく、みず(山菜のウワバミソウ)、昆布、しいたけ、ウドなどを入れた料理で、家庭によって具材の違いはあるが、決して餅は入れない。

餅の入らない「こづゆ」。左が筆者の義母のもので、右が義祖母のもの=筆者撮影

 地域のすべての家が「もちなし正月」というわけではなく、醤油味の汁に搗きたての餅を入れた「汁もち(つゆもち)」を食べる家庭もあるが、義実家の祝膳と言えば、白飯、納豆、大根おろし、「赤い魚(塩ザケ)」、田作り。質素に見えるが、山間地でかつては魚がごちそうだったことや、秋に収穫された大豆で作った納豆は「はしり」の時期だったと考えると、実はぜいたくな食卓だったことがわかる。

 義実家が「もちなし正月」である理由は定かではないが、義母の先祖が義父の先祖宅でもらった餅を喉に詰まらせて亡くなったことが家族内で語り継がれている。

 消費者庁が2018年から2019年の餅による高齢者の死亡事故の分析を行ったところ、年内に発生した事故のうち43%が1月に発生、特に正月三が日に多いことがわかったという。過去に餅を「New Year ' s Silent Killer」と報じた海外メディアがあるのもうなずける。餅をのどに詰まらせるリスクがありながらも、多くの人たちが餅を食べるのが日本の正月だ。中には正月の文化であり慣例だからという理由だけで食べている人もいるかもしれないが、おいしさも理由だという人はきっと多いはずだ。

 そんなわけで義実家の正月は「もちなし」なので、餅が好きな私は衝撃を受けた。だが、義実家では12月28日には正月用の鏡餅を作るために餅を搗き、搗きたての餅を食べる。定番は出汁に大根の千六本(千切り)と細切りした油揚げと餅だけを入れた「汁もち」のほか、「納豆餅」と「おろし餅」。搗きたての餅を次々とちぎっていく義父の手つきは慣れたものだ。翌日に「汁もち」の残りを温め直して餅がどろりと溶け出した状態で食べるのもおいしい。

搗きたての餅に千六本の大根、細切りの油揚げが入った義実家の「汁もち」=筆者撮影

 自分たちで鏡餅を作るからこその「餅を食べる日」で、もしも市販の鏡餅を買うようになったらきっとこの日に搗きたての餅を食べることはなくなるのだろう。それに、義実家の「汁もち」は搗き立ての餅であることが肝心なので、切り餅ではたとえ同じ汁に入れたとしてもまるで別の食べものになってしまう。他の家庭の汁もちはどうかわからないが、汁もちは鏡餅作りという慣習と共にある食べものだと感じる。

 ちなみに、義両親と同居していない次男夫妻であるわが家では、私が関東から持ち込んだ食文化によって、元旦の朝は実家から受け継いだお雑煮を食べる。やはり、これがなければ正月が来た気がしない。そして、元旦を待たずに大晦日の夜からおせち料理や煮しめなどを食べ始める。これは信州出身の私の母が実家に持ち込んだ食文化を引き継いだかたちだ。

 結婚や同居などによって各地方の食文化が混在していき、たとえ同じ地域に住んでいても隣の家とはお雑煮の中身が違うなど、食文化には地方色がありながらも、実際にはモザイク状なのではないだろうか。市販のおせち料理が普及している現在では正月料理のモザイクは薄まってきているのかもしれないが、違う食文化同士が混じりあうことで、その家庭独自の食文化が醸成されていく。文化は言葉と同様に生き物であり、伝統を守ることの難しさを実感した。

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