黒田日銀の10年とは~門間一夫さんに聞く(前編)
2023年02月24日
「アベノミクスとは何だったのか」を聞くインタビュー・シリーズの今回は、日本銀行の次期総裁候補となった植田和男氏にとっての課題も展望しつつ、異次元緩和の10年を振り返っていただくため、元日銀理事の門間一夫さんにご登場いただく。
門間さんは白川日銀の幹部として政府との共同声明づくりに携わった。最初からうまくいくとは思えなかったが、政権と日本社会による「日銀包囲網」のなかではやるしかなかった――。正直に当時をそう振り返る門間さんにこの異次元緩和の10年について「本音の総括」をしていただこう。
門間一夫・みずほリサーチ&テクノロジーズ・エグゼクティブエコノミスト
〈もんま・かずお〉1957生まれ、1981年東京大経済学部を卒業し、日本銀行入行。米ペンシルバニア大ウォートン校経営大学院MBA取得。日銀では調査統計局長、企画局長を歴任。白川方明総裁のもとでは金融政策担当理事として、政府・日銀の「共同声明」案づくりなども担当。黒田東彦総裁のもとでは国際担当理事としてG7、G20などの国際会議を補佐。2016年からみずほリサーチ&テクノロジーズ・エグゼクティブエコノミスト。
――日銀総裁候補の植田和男氏の評価は?
門間 期待したい。経済学のバックグラウンドはしっかりしているし、日銀の審議委員を7年務め、その後も常時、日銀とはコンタクトがある。だから現状の日銀の課題もよくご存じで、説明がわかりやすいのでコミュニケーションもうまくいく可能性が高い。英語もうまいし、日本国内だけでなく海外に向けての情報発信も非常に上手なのではないですか。
――新体制にとっては、最近、国債市場を混乱させる原因となっている日銀の「イールドカーブ・コントロール」(YCC=長短金利操作)をどうするのかが当面の課題です。市場でも早晩撤廃されるだろうとみている人が多いようです。植田氏も以前、論考のなかで「微修正がきかない政策」だと指摘していました。だとすると一気に撤廃、それも就任最初の決定会合で変更される可能性もあるのでは?
門間 同感です。理屈はそうです。「時間をかけて見直す」なんて言えません。4月の出発点で変えるのがベストだと思います。ただし、簡単ではないのでできるかどうかはわかりません。
――門間さんは著書やインタビューに答えて「異次元緩和は最初から効果がないとわかっていたが日銀はやるしかなかった。しかも全力でやりきるしかなかった」とおっしゃっています。たいへん正直な説明ではありますが、つまりそれは、日銀が生き残るために日本経済を犠牲にした、ということではないのですか。
門間 それはちょっと違うと思います。日銀が生き残るためというより、中央銀行への信頼がない状態は国民にとって不幸だということです。国民とか有識者の大方が支持する政策を、日銀が「やらない」と押し切ることの問題があります。国民にとって信頼できる中央銀行であるかどうかということ、そのものが「国民のアセット(資産)」ですから。
もう一つは、日銀が全力を出してデフレに向けてできることを全部やりきる、というところまでいかないと、構造改革がより重要だという議論にもっていけません。「金融緩和が中途半端だから日本が成長しない」という間違った議論がなくならないからです。経済論壇に議論の整理をしっかりしてもらう環境を作る意味でも、日銀にはまだできることがある、という余力を残しておくのはいいことではないと思います。
――日銀の本音として、きわめて正直な説明ですね。日銀の現職幹部たちも以前ならそんなことは口が裂けても言いませんでしたが、門間さんが最近そういう説明をメディアでするようになったためなのか、そういう言い方をするようになりました。
門間 私は最初からそう思っていましたよ。それ以外に(異次元緩和を)やる理由はないですからね。日銀の政策によって(物価目標の)2%になんかならないし、日本経済が良くなるなんて思っていませんでした。
――それは日銀内で共通した理解だったのですか。
門間 この議論はもともと1998年からありました。そのころはそうでしたね。2000年10月に日銀政策委員会が「「物価の安定」についての考え方」という文書を公表していますが、そこに「物価の安定というのは数値では表せない」とはっきり書いてあります。だから物価目標はもたない、と。それが日銀の正式な見解でした。ところがそれから15年間、それが世の中には受け入れられませんでした。そして2013年の異次元緩和へと向かうわけです。
――黒田東彦総裁のもとで日銀は宗旨替えした、と?
門間 というよりも世間の議論を受け入れながらでないと日銀も政策運営が難しいので、徐々に変えてきたのです。日銀は2006年、「中長期的な物価安定の理解」として(消費者物価指数伸び率0~2%程度という)数字を示し、12年には「中長期的な物価安定の目途」として当面は1%、最終的に2%以下のプラスをめざすことにしました。それに沿って同年10月には当時の与党・民主党とのあいだで共同文書も出しました。
さらに安倍政権になった翌13年1月に共同声明になり、同年4月に黒田総裁が異次元緩和を始めました。突然そうなったわけではなくて、15年間のあいだに徐々に変わってきて、行き着いた先が異次元緩和だったということです。
――黒田日銀は発足時に「2年で2%インフレ目標を実現する」と宣言しました。この短期決戦は不利なゲームであり、しかも日銀が本気度を示し続けないといけない。最初からそうわかっていた、と門間さんは指摘しています。だとすると、黒田総裁は本気で2年で2%目標は達成できると信じていたのですね。
門間 たぶんそうだと思います。
――単純にお金を増やせば景気が良くなるという貨幣数量説のリフレ派だけでなく、人々の物価上昇への期待を高めればインフレが起きるという「期待派」も広い意味ではリフレ派です。だとすると黒田さんはまちがいなくリフレ派ですね。
門間 議論はあるでしょうが、そういう分類をすればそうなるでしょうか。
――日銀は植田新総裁のもとで、これからどうしたらいいでしょうか。
門間 2%目標が(持続可能な状態で)達成できるかどうかによって道は分かれます。それが判明するのは今から1~2年後になりますが。そこでもし本当に2%目標が実現できるなら、異次元緩和が効いたという誤った理解を残しかねない点は問題ですが、日銀としては淡々と出口に向かえばそれでよいです。
しかし達成できなかったら、2%物価目標そのものについて総括的に検証し直す必要が出てきます。昨年来、エネルギー価格、資源高などの影響で40年ぶりのインフレとなり、今春闘ではおそらく3%くらいのけっこう高い賃上げとなりそうです。これほどのプラスのショックがあっても、なお持続的な2%インフレが実現できないのだとすれば、これは本当にできないんだな、ということになります。日銀は2016年にやった「総括的検証」より何倍もまじめに検証すべきです。
――日本がデフレだったと言われますが、30~40年前からインフレ率は米国のほうが日本よりずっと高い状態です。インフレ率の日米差がある状態はおかしなことなのですか。
門間 おかしくないです。
――放置しておいてもいいのですか。
門間 私はいいと思います。でも世の中はそうではなかった。
――私も近年の「デフレ問題」という設定はおかしかったと思います。80~90年代前半にはむしろ日本の物価が高い「内外価格差」が社会問題となり、その是正が社会的課題でした。つまり物価をもっと下げろ、と。それが10年前には議論が逆転し、物価を上げろという議論になりました。何かおかしいですね。
門間 私もそう思います。それがおかしいと日銀が国民を説得できなかったということです。
――それを受け止められなかったエコノミストやメディアが愚かだったのでしょうか。
門間 そうではありません。人間の認識というのはその時代その時代の思想、哲学、経験などによって形成されるものです。そういう議論がおかしいと思っていた私が少数派だったのであって、時代の大きな流れのなかでできあがった思想を受け入れた多くの人たちのことを愚かとは言えません。むしろ私のような人間の方が変人なわけです。変人が普通の人たちを説得できなかったということです。
――植田日銀にとっては「2%目標」を示した政府・日銀の「共同声明」の見直しも焦点となります。
門間 日銀は最初は2%をめざして全力で緩和を進めるしかありませんでした。ただ、問題はこの期に及んでいまだに2%目標というものに重点が置かれすぎていることです。いま起きている国債市場の機能低下とか、市場とのコミュニケーションがうまくいかないといった問題は、日銀が2%に固執するあまり起きていることです。
昨年、急速な円安を招いたのもそれが原因でしょう。2%目標も大事かもしれないが、もっと他のこともバランスよく考えたほうがいい。目標そのものを変えられないのなら、それを掲げながらも、もうちょっとウェートの置き方を軽くする認識を政府と共有できれば、それはそれで意味のある変更になります。
たとえば共同声明にこんな一文を入れればいいと思っています。
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