笹森文彦
2011年09月05日
特にオタク族の中心地の東京・秋葉原が発祥のAKB48は、名古屋・栄を拠点とするSKE48、大阪・難波のNMB48へと増殖。「会いに行けるアイドル」のコンセプト通り、地域密着型のエンターテインメントを確立している。
それにしても、どうしてAKB48がこれほどウケるのだろう。総合プロデューサー秋元康氏(55)の手腕が大きいのは当然だが、多人数の女性アイドル史をさかのぼってみると、経済や社会が激動する時代背景もあるように思える。
1985年(昭60)に、多人数アイドルの元祖とも言えるおニャン子クラブが登場する。
フジテレビ系「夕焼けニャンニャン」から生まれた素人アイドル集団で、国生さゆり、生稲晃子、新田恵利、渡辺美奈代、渡辺満里奈、工藤静香、城之内早苗らは今も活躍している。こちらも秋元氏がプロデューサーだった。
この年、アメリカがドル高対策として提唱した「プラザ合意」がなされ、日本は急速な円高が進み、いわゆる「バブル経済」に突入していく。
国内では、エイズ(後天性免疫不全症候群)が初めて発症し、性風俗が社会問題となり、新風俗営業法が施行される。おニャン子クラブの大ヒット曲「セーラー服を脱がさないで」は、そうした社会情勢の中から生まれ、一時期は放送禁止曲(行政的強制力はなく、放送局が自主的にオンエア時間などを配慮するもの)になった。
1987年におニャン子クラブは解散するが、その10年後の97年に登場するのが、モーニング娘。である。こちらはつんく♂(42)のプロデュースで、テレビ東京系「ASAYAN」から誕生した。中沢裕子、安倍なつみらが所属した1期生は5人だったが、メンバーが加入、脱退を繰り返し、藤本美貴らの6期は最大16人が所属した。
この年、消費税が3%から5%に引き上げられた。バブル経済のつけで、山一証券、北海道拓殖銀行など金融機関の破綻が相次いだ。リストラが横行し、非正規雇用が社会問題になり始めた。
そんな中、1999年に発表した「LOVEマシーン」は、
「ニッポンの未来は……」
と歌い、応援歌として同グループ初のミリオンヒットを記録した。
そして2007年、モー娘。の登場から10年後にブレイクするのがAKB48である。デビューは2005年7月だが、”アキバブーム”に乗って2007年末のNHK紅白歌合戦に「アキバ枠」として初出場した。AKB48が全国区に初めて姿を見せたのが2007年で、ここから快進撃が始まるのだ。
この年は、
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