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多人数女性アイドルは「10年周期」!?

笹森文彦

笹森文彦 笹森文彦(日刊スポーツ新聞社編集委員)

 2010年から本格的に始まったアイドル集団AKB48とK-POPブームは、勢いを増すばかりだ。

拡大AKB総選挙で1位に返り咲いた前田敦子=6月9日

 特にオタク族の中心地の東京・秋葉原が発祥のAKB48は、名古屋・栄を拠点とするSKE48、大阪・難波のNMB48へと増殖。「会いに行けるアイドル」のコンセプト通り、地域密着型のエンターテインメントを確立している。

 それにしても、どうしてAKB48がこれほどウケるのだろう。総合プロデューサー秋元康氏(55)の手腕が大きいのは当然だが、多人数の女性アイドル史をさかのぼってみると、経済や社会が激動する時代背景もあるように思える。

 1985年(昭60)に、多人数アイドルの元祖とも言えるおニャン子クラブが登場する。

 フジテレビ系「夕焼けニャンニャン」から生まれた素人アイドル集団で、国生さゆり、生稲晃子、新田恵利、渡辺美奈代、渡辺満里奈、工藤静香、城之内早苗らは今も活躍している。こちらも秋元氏がプロデューサーだった。

拡大1985年に発売され話題になったおニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」

 この年、アメリカがドル高対策として提唱した「プラザ合意」がなされ、日本は急速な円高が進み、いわゆる「バブル経済」に突入していく。

 国内では、エイズ(後天性免疫不全症候群)が初めて発症し、性風俗が社会問題となり、新風俗営業法が施行される。おニャン子クラブの大ヒット曲「セーラー服を脱がさないで」は、そうした社会情勢の中から生まれ、一時期は放送禁止曲(行政的強制力はなく、放送局が自主的にオンエア時間などを配慮するもの)になった。

 1987年におニャン子クラブは解散するが、その10年後の97年に登場するのが、モーニング娘。である。こちらはつんく♂(42)のプロデュースで、テレビ東京系「ASAYAN」から誕生した。中沢裕子、安倍なつみらが所属した1期生は5人だったが、メンバーが加入、脱退を繰り返し、藤本美貴らの6期は最大16人が所属した。

拡大フットサル審判講習を受講したモーニング娘。のメンバー=2006年4月、東京・本郷の日本サッカー協会で 

 この年、消費税が3%から5%に引き上げられた。バブル経済のつけで、山一証券、北海道拓殖銀行など金融機関の破綻が相次いだ。リストラが横行し、非正規雇用が社会問題になり始めた。

 そんな中、1999年に発表した「LOVEマシーン」は、

「ニッポンの未来は……」

 と歌い、応援歌として同グループ初のミリオンヒットを記録した。

 そして2007年、モー娘。の登場から10年後にブレイクするのがAKB48である。デビューは2005年7月だが、”アキバブーム”に乗って2007年末のNHK紅白歌合戦に「アキバ枠」として初出場した。AKB48が全国区に初めて姿を見せたのが2007年で、ここから快進撃が始まるのだ。

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筆者

笹森文彦

笹森文彦(ささもり・ふみひこ) 笹森文彦(日刊スポーツ新聞社編集委員)

1957年、札幌市生まれ。日刊スポーツ編集委員。道立札幌北陵高で野球部を創部し、初代主将。3年夏に南北海道大会札幌地区大会で選手宣誓。早大第一文学部心理学科卒。上京しての浪人中に蒲田で朝日新聞の配達を経験。1982年、日刊スポーツ新聞社東京本社に入社。主に文化社会部で芸能担当(音楽)。文化社会部デスク、野球部デスク、東北総局長(仙台)、文化社会部長を経て現職。過去に、テレビ朝日系「ワイド ! スクランブル」「スーパーモーニング」等にコメンテーターなどで出演。東北総局時代は、テレビ朝日系の東北6県ネット情報番組「るくなす」(東日本放送制作)で、伊奈かっぺい、元フジテレビアナウンサー福元英恵と共演。日本レコード大賞審査委員を長年務め、現在、副委員長。趣味は下町散策、ゴルフ。

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