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9・11とパティ・スミス、3・11とキヨシロー、斉藤和義

近藤康太郎 朝日新聞西部本社編集委員兼天草支局長

 2001年9月11日、ニューヨークに住んでいた。ツインタワーの南棟が崩れ落ちたとき、ちょうど真下近くにいて危うく死にかけたことは、あちこちで書いてメシの種にしてきたので、ここではふれない。

 ただ、あのとき一番ショックで、いつまでも感情のしこりになって長く尾を引いたのは、ほとんど毎晩のように飲み歩いていたクラブ、日本でいうところのライブハウスの空気が、がらりと変わってしまったことだった。

 ダウンタウンに住んでいたので、家の近所は軍隊に閉鎖されて、アパートに帰るのも検問を通らなければならない。クラブなんか、もちろん開いていない。1カ月以上たってようやく再開し始めたのだが、なにか、空気が違っている。どこのクラブに行っても、今までお目にかかったことのないアメリカ国旗がでかでか掲げてある。「United We Stand(ひとつになろう)」と書いてあるプラカードがある。長髪に革ジャンパーの客の背中に「アメリカを愛せ、でなきゃ故国(くに)に帰っちまえ」と書いているやつもいた。

 じきにアフガニスタンへの空爆が始まった。世界で一番豊かな国が、世界で最も貧しい国を爆撃し、民間人も殺している。ニューヨークは全米でもとくにリベラルな人たちが多いので知られる。小規模な反戦デモはたびたびあったが、ミュージシャンが何か声を上げているのは、まず見なかった。当然だろう。あのとき、観衆の前に出てきて、「空爆に反対だ」なんて言おうものなら、本当に袋だたきにあいそうな雰囲気だったのだ。

 そんなある晩、パンク歌手のパティ・スミスがダウンタウンで歌っていた。

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