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ポランスキー、あなたはもう終わっている――『ゴーストライター』批判

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 「巨匠」ロマン・ポランスキーの監督生命は、とっくの昔に、つまり1974年の佳作『チャイナタウン』あたりで終わっている――それが、ひどく退屈な彼の新作、『ゴーストライター』を見ての、私の率直な思いである。ひとことで言って、この映画がつまらないのは、情報解読や推理による謎解きだけがダラダラと続き、物語が意外な方向に転がっていくハラハラドキドキ感が欠けているからだ。つまりは、スリルとサスペンスと活劇性が致命的に欠けているからである。このことを、もう少し突きつめてみよう。

拡大ロマン・ポランスキー

 物語は、元英国首相(ピアース・ブロスナン)の自叙伝の代筆者=ゴーストライターを依頼された主人公(ユアン・マクレガー)が、素人探偵となって、元首相以下さまざまな人物と接触し取材を進めるなか、おびただしい情報の迷路のなかを右往左往し、ついに巨悪CIAの恐るべき陰謀を知る、というものだ。

 主人公の周辺に見え隠れする謎はといえば――主人公の前任者のライターの不可解な溺死、前任者の死体発見前夜、怪しげな人影を見たと証言した女性が原因不明の事故に遭い、昏睡状態にあること、元首相と妻(オリヴィア・ウィリアムズ)と秘書(キム・キャトラル)をめぐる隠微な関係、元首相を戦犯として訴える元外相の真意、元首相と大学時代の同僚だという大学教授の不穏な行動(主人公はインターネットで、教授がCIAの一員であった事実を突きとめる)、などなど。しかもその挙句、元首相はスナイパーによって突然射殺されてしまうが、この暗殺がいかなる勢力によって、またいかなる目的によってなされたのかは、まったくクリアにされない……。

 そして、こうした物語の複雑さを消化しきれていないところが、本作の最大の弱点なのだ。別の言い方をすれば、本作のポランスキーは、謎解きや犯人探しを大真面目にやりすぎたのだ。そのため、プロットは真偽の定かでない情報の羅列に終始し、無駄にごちゃごちゃと入り組んでしまい、序盤の死体映像も前述の元首相殺害の場面も、主人公が乗り込んだ車がカーナビによって自動的に走りはじめる瞬間も、物語の中でどんな意味をもつのかが分かりにくい、不発のサプライズで終わっている。

 むろん、主人公は真相を解明すべく、何人もの人物と多くの言葉/セリフを交わし、多くの不確かな情報に触れる。いきおい、着地点のない会話が大きな場所を占め、映画からはアクション/運動が奪われてしまう。

 要するに、作り手の頭の中ではつながっているのだろう、こうした多くの謎や情報は、見ている側にとっては、そのつど映画の流れを停滞させるバラバラの点でしかなく、ハラハラドキドキ感はいっこうに生まれないのだ。しかも、映画がようやくラストに向かって助走を始めるのは、多くの謎に振り回されていた主人公が、前任者の原稿の中に真相解明のカギとなる暗号が仕込まれていることに、「突然気づく」というお粗末な急転回によってなのだ(思うに、悪玉の側からの場面をもうちょっと多くすれば、本作はいくぶんスッキリとしたかもしれない)。

 それにしても呆れたのは、何人かの批評家が、

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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