2011年09月20日
例えば、『天皇の歴史』(全10巻・講談社)もそのひとつである。順調に刊行され、あと2巻を残すのみになったシリーズだが、スタートのとき以外ほとんど書評されていない。
最近、第6巻『江戸時代の天皇』(藤田覚)、第7巻『明治天皇の大日本帝国』(西川誠)、第8巻『昭和天皇と戦争の世紀』(加藤陽子)を続けて読んだ。著者の立ち位置も、対象に向かう方法もそれぞれ異なるが、近世から近代、現代における天皇の存在、意味、役割などがどのように変遷・形成されたのか、鮮やかに分析され、読み応えがあった。書評の代わりに少しここで触れてみたい。
江戸開府時、天皇の政治的権力はほぼゼロに近かった。官位授与・元号制定・改暦の3つの権能だけが残されていたというが、それすらも手続き的に追認するだけであった。
では、どのようにして天皇が実質的権威・権力に浮上していったのか。そのプロセスをリアルに検証したのが藤田の仕事である。神事を執行続けることと皇統意識は、将軍権力でも触れられない存在の核である。この信念(?)というべきものは蜂の一刺しではあったかもしれないが、強大な幕府権力をいつの間にかじわじわと浸食し、ついには崩壊に至らしめた。明治維新は270年かけた長くてまことに粘り強い回復闘争の産物だった。
では維新によって成立した政治的位置をいかに安定的に持続させるか。元勲たちは、憲法を中心にした明治国家という絶妙な装置を作り上げた。神道の主宰者でありながら、「欧化」の象徴であり、そして神聖にして侵してはならぬ存在でありながら、国民国家の見える「大帝」でもあるスタイル。伊藤博文らと天皇との間に親近感の存在していた時期、これは見事に機能した。明治というシステムは円滑であった。
しかし、天皇の成長、元勲たちの死が加わると、
有料会員の方はログインページに進み、デジタル版のIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞社の言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください