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3・11で「自粛」された歌、その後

笹森文彦

笹森文彦 笹森文彦(日刊スポーツ新聞社編集委員)

 3月11日の東日本大震災から、半年が過ぎた。被災地ではまだまだ厳しい日々が続いているが、当初、テレビやラジオで放送自粛となったり、コンサートなどで歌手自らが楽曲リストから外した曲も、抵抗なく放送され、歌われるようになった。被災者の心情を配慮していたもので、ある面では当然だったろう。

 だが、被災地を訪れた歌手が逆に「歌ってほしい」と願われることも多かったという。どんな状況だったか、振り返ってみたい。

 地震の揺れ以上に、津波被害が甚大だったこともあり、震災直後から演歌、流行歌を中心に海にまつわる歌などが自粛された。以下がその代表例である。

  <歌詞> 海が割れるのよ… 「珍島物語」(天童よしみ)

  <歌詞> 北の漁場はよ 男の死に場所さ 「北の漁場」(北島三郎)

  <歌詞> 波の谷間に 命の花が…兄弟船は親父のかたみ… 「兄弟船」(鳥羽一郎)

  <歌詞> ここで一緒に死ねたらいいと… 「みちのくひとり旅」(山本譲二)

  <歌詞> 港 宮古 釜石 気仙沼… 「港町ブルース」(森進一)

  <歌詞> 今はもう秋 誰もいない海… 「誰もいない海」(トワ・エ・モア)

  <歌詞> 津波のような侘びしさに… 「TSUNAMI」(サザンオールスターズ)

拡大「兄弟船」を歌う鳥羽一郎=2009年、岩手県釜石市で

 ほんの一例だが、どれもこれも名曲の数々である。レコード会社関係者は「放送局側からと歌手側からと、双方から『控えたい』というケースがありました。被災者の心情が第一だったので、当然だったと思います」と振り返る。

 ラジオ局関係者は「震災直後は、ラジオが情報の生命線となっている被災地も多かった。そうした現状で、まずは情報提供を最大限に意識し、おのずと音楽番組はしばらく中断しました。ただ、音楽には人を勇気づけたり、元気づける力があると思っていましたので、だからこそ選曲には十分、気を配りました。自粛した、という意味合いではありません」と、当時の考え方を説明した。

 震災直後のリクエスト曲にも、大きな変化が見られていた。余震におびえる子供たちのために「アンパンマンマーチ」などアニメソングが数多く流された。

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筆者

笹森文彦

笹森文彦(ささもり・ふみひこ) 笹森文彦(日刊スポーツ新聞社編集委員)

1957年、札幌市生まれ。日刊スポーツ編集委員。道立札幌北陵高で野球部を創部し、初代主将。3年夏に南北海道大会札幌地区大会で選手宣誓。早大第一文学部心理学科卒。上京しての浪人中に蒲田で朝日新聞の配達を経験。1982年、日刊スポーツ新聞社東京本社に入社。主に文化社会部で芸能担当(音楽)。文化社会部デスク、野球部デスク、東北総局長(仙台)、文化社会部長を経て現職。過去に、テレビ朝日系「ワイド ! スクランブル」「スーパーモーニング」等にコメンテーターなどで出演。東北総局時代は、テレビ朝日系の東北6県ネット情報番組「るくなす」(東日本放送制作)で、伊奈かっぺい、元フジテレビアナウンサー福元英恵と共演。日本レコード大賞審査委員を長年務め、現在、副委員長。趣味は下町散策、ゴルフ。

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