笹森文彦
2011年09月26日
だが、被災地を訪れた歌手が逆に「歌ってほしい」と願われることも多かったという。どんな状況だったか、振り返ってみたい。
地震の揺れ以上に、津波被害が甚大だったこともあり、震災直後から演歌、流行歌を中心に海にまつわる歌などが自粛された。以下がその代表例である。
<歌詞> 海が割れるのよ… 「珍島物語」(天童よしみ)
<歌詞> 北の漁場はよ 男の死に場所さ 「北の漁場」(北島三郎)
<歌詞> 波の谷間に 命の花が…兄弟船は親父のかたみ… 「兄弟船」(鳥羽一郎)
<歌詞> ここで一緒に死ねたらいいと… 「みちのくひとり旅」(山本譲二)
<歌詞> 港 宮古 釜石 気仙沼… 「港町ブルース」(森進一)
<歌詞> 今はもう秋 誰もいない海… 「誰もいない海」(トワ・エ・モア)
<歌詞> 津波のような侘びしさに… 「TSUNAMI」(サザンオールスターズ)
ほんの一例だが、どれもこれも名曲の数々である。レコード会社関係者は「放送局側からと歌手側からと、双方から『控えたい』というケースがありました。被災者の心情が第一だったので、当然だったと思います」と振り返る。
ラジオ局関係者は「震災直後は、ラジオが情報の生命線となっている被災地も多かった。そうした現状で、まずは情報提供を最大限に意識し、おのずと音楽番組はしばらく中断しました。ただ、音楽には人を勇気づけたり、元気づける力があると思っていましたので、だからこそ選曲には十分、気を配りました。自粛した、という意味合いではありません」と、当時の考え方を説明した。
震災直後のリクエスト曲にも、大きな変化が見られていた。余震におびえる子供たちのために「アンパンマンマーチ」などアニメソングが数多く流された。
そして
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