2011年09月28日
ジェラール・プレスギュルヴィック作詞・作曲によるフランス・ミュージカル(2001年、パリ初演)の翻訳版で、昨年、宝塚歌劇団が大阪・福岡で日本初演、今年2~3月には宝塚雪組が東京で上演している。今回の舞台は、男女の俳優が演じる、つまり普通のミュージカルでの初の上演である。潤色・演出は宝塚版と同じく、小池修一郎。現在、ミュージカル界で最も秀でた成果を生み続けている演出家だ。
ヴェローナの名家、モンタギュー家とキャピュレット家との長年にわたる確執を背景に、対立する両家のロミオとジュリエットが深い恋に落ち、やがてすれ違いの悲劇に至る物語。原作の本筋を踏まえながら、所々に改変を加え、演出的な工夫を盛り込んでいる。
フランス・オリジナル版からあった設定だが、二人の愛に忍び寄る不吉な「死」のダンサーが、人物を操るかのように随所で舞い、悲劇の予兆を視覚的に表現する。宝塚版では「死」のほかに「愛」のダンサーも登場させ、「死」と「愛」の双方に見守られた宿命の恋を強調したが、今回は「愛」は出さず、この点はフランス版と同じ形に戻した。
また、宝塚版では、モンタギュー家の面々は青系、キャピュレット家は赤系の衣装に統一し、スタイリッシュな群舞を見せたが、本作は、モンタギュー家はドラゴンをテーマにクロコ柄、キャピュレット家は獅子をテーマにレオパード柄の衣装をまとい、現代的でシャープなダンスを披露する(TETSUHARU振付)。
物語を端的に運ぶ音楽の構成が見事だ。第1幕の1曲目「ヴェローナ」では両家が諍いを繰り返す街の環境を伝え、2曲目のキャピュレット夫人(涼風真世)とモンタギュー夫人(大鳥れい)による「憎しみ」で、対立の根の深さを語る。
こうしてお膳立てができたところで3曲目、ロミオ(城田優と山崎育三郎のダブルキャスト)とジュリエット(昆夏美とフランク莉奈のダブルキャスト)がそれぞれ別の空間で歌う「いつか」がいい曲だ。まだ見ぬ恋へのあこがれを表現した初々しいナンバーで、フランス版ではこの曲はもっと後に歌われるが、早い段階で主役の二人をフィーチャーした小池の構成感覚が優れている。
この後、ジュリエットへのパリス卿の求婚や、原作にはないジュリエットの出生の秘密など、キャピュレット家の事情が明かされる。次なるヴェローナ市街の場面で、ロミオ以下モンタギュー家の若者たちが歌い踊る「世界の王」が見どころ、聴きどころの一つ。
自分たちは誰にも支配されない世界の王だと宣言して、覇気を高らかに歌い上げる。この曲はテンポが快調でダンスも格好いい。ごくシンプルなメロディーながら前奏が短調、Aメロで長調に転調するのが効いている。ストーリーを進める上では必要のないナンバーなのだが、ミュージカルの構成としては効果的な役割を果たしている。第1幕半ばに弾む場面を持ってきたこと、若者たちの生気を印象づけたことで、終盤の死への対照的な伏線となるからだ。
二人が初めて出会う仮面舞踏会の場面で流される音楽は、ディスコ調の軽快なインストゥルメンタル。スピーディーな群舞のさなか、無言のうちに二人が運命的な出会いを果たすのも粋な工夫だ。こののち、時が止まって人々は去り、二人は「天使の歌が聞こえる」という曲を唱和、ミュージカルならではの格別な一場を形づくる。
有名なバルコニーでの逢瀬で二人が歌う「バルコニー」が甘美で高揚感に富み、引き返せない恋の行方を決定づける。第1幕のフィナーレは礼拝堂での結婚式。ここで歌われる「エメ(好き)」は美しい旋律だが、どこか悲しげな調べをはらんでいるあたりが巧妙。
第2幕。
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