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[1]震災時のサイマル放送から考える

大澤聡 批評家、近畿大学文芸学部講師(メディア史)

 3月11日の震災時に広く運用された「サイマル放送」が話題となった。複数のチャンネルやメディアを介した同一番組の並行放送のことだ。テレビの地震速報番組がインターネット上の動画配信サービスであるUstreamやニコニコ動画などでも同時中継された。それを人びとがリアルタイムで視聴する。経緯はご存知だろう。既存メディアであるテレビではカバーしきれない範囲が出てくる。その余白を埋めるように、新規メディアであるネットが活用される。補完的構図が如実になった。

 おりしも、メディア批評や文化批評の領域では、テレビとインターネットの関係が議論されはじめたところだった。「議論されはじめた」という表現は正確ではない。議論がようやく次のフェーズに突入しかけたところだった。尖閣諸島沖における中国漁船衝突事件の動画がYouTubeに流出したことは記憶に新しい(2010年11月)。テレビではなくネットが経路に選択された。しかも、Twitterを介して流出情報が瞬時に拡散する。新聞ではない。その点がウェブ時代を象徴している。あるいは、小沢一郎のネット会見を想起してもいい。

 マスメディア主導ではない新たな情報流通回路。それを通じてニュースが生成される。日々起こる大小無数の事件も同様だ。ネット上のさまざまなサービス群がジャーナリズムや報道のプラットフォームとして存在感を増しつつある。この劇的な変化を私たちはいかに受けとめればよいのか。まさに、新旧メディアの融合と差別化の方途が模索されはじめていた(実際、テレビ番組にネットの諸機能を組み込む実例も見かけるようになった)。そのタイミングで、大地震発生直後におけるソーシャルメディアの躍進を見たわけである。そして、現象を批評の言語が追跡する。

 議論は端緒についたばかりだ。このメディア状況を読み解くための確たる枠組を私たちはまだ手にしていない。新たなメディアとどう付きあっていくべきか。古いメディアをどう位置づけなおしていくべきか。すべては手探りで進行する。

 マスメディアの対応も試行段階というのが実情だろう。たとえば、『朝日新聞』の電子版「朝日新聞デジタル」がスタートして5ヶ月(2011年5月開始)。紙版とデジタル版の最適な関係が模索される。オプション機能の拡充も日々進む。課題も多い。

 この文章が掲載されている「WEBRONZA」にしても同様だ。こちらは始動から1年4ヶ月(2010年6月開始)。多ジャンルをカバーしたニュース解説が売りである。ネットならではの速報性と蓄積性の両面を活かす試みが展開されてきた。ネット空間の最大の特徴である物理的制限の不在を活かし、ボリュームを確保した時事的論考が大量にストックされる。新聞や雑誌ではフォローしきれないニーズを潜在的に満たす。

 今後の展開はいくらでも考えられる。実際に、それらが備えているフォーマットは次々と改訂されていくはずだ。決定的なバージョンはありえない(その意味では、「試行段階」という評価は適切ではない)。環境はたえず変化していくからである。そのときどきの状況や条件を十分に考慮し、随時メンテナンスと微調整を施していく作業が不可欠となる。だが、現行環境への応対のみを念頭においたシステム設計に邁進することはいささか無防備だといわざるをえない。

 配慮すべき材料は歴史のなかにもある。新しい事象に接するとき、私たちは歴史的な経緯や類似の事例に参考材料を求める。新たな事象そのものによっては判断を下しようがないからだ(もちろん、直感的な判断は下せるだろう)。とすれば、私たちが新興メディアの扱いを決定するにあたって必要となる作業はあきらか。メディアの歴史を振りかえること。振りかえりつつゆっくり考えていくこと。新たなメディアを運営するためのヒントは、ほかならぬ私たち自身が既存のメディアといかに付きあってきたか、その経験の履歴のなかに沈潜している。それらを適宜取り出し改変することで、次なる一手を練っていくほかない。くりかえしておけば、もちろん即時的な反応も折り込みながら。

 そのための基礎整備をこの連載の主な役割に設定しよう。かかる前提のもと、個別の事例紹介と批評とを行なっていく。とりわけ、表題にかかげたように、ジャーナリズムの来歴の再点検が主なミッションだ。いかにして報道や批評は行なわれてきたのか。どのような環境で言論は醸成されてきたのか。問題とすべきはその「内容」ではなく「形式」である。

 したがって、次回以降、まずはそのときどきのメディア現象をピックアップし、続いて関連する歴史的事例を引っぱり出す。それらを連携させつつ検討する。そのうえで、可能なかぎり、現状にあてた処方箋を提出する。この3段階の作業をひたすら反復していくことになるだろう。なお、歴史に関しては当面のところ、日本の1930年代(昭和初年代)に重点をおく。現在のメディア環境の基盤が急速に確立した時期だからである。戦後の豊穣なジャーナリズムの歴史へと接続していくのはそのあとの作業になる。

 メディア環境の現状と来歴とをランダムに往還しながら回を重ねていくこの連載は、じつに迂遠で地味でやたらと細かく、必要以上に硬くるしいだけの記述の連鎖に映るかもしれない(じつのところ、それが本連載に要求された条件でもあったのだが)。だが、そんな「場ちがい」な記事がひとつくらい混入されていてもいいのではないか。そうした考えを許容しうる寛容さこそがウェブメディアの最大の利点でもあるはずだ。