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セフレか恋人か、それが問題だ!?――21世紀版クレイジー・コメディ、『ステイ・フレンズ』

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 ルックスのいい男女が、偶然出会う。そして互いに心惹かれ、イイ仲になるが、ささいな誤解やら何やらで二人の気持はすれ違い、離ればなれになる。が、さまざまな困難を乗り越え、二人は再会しハッピー・エンドとなるか、もしくは再会したものの、抜き差しならない理由で別々の人生を歩むことになる。――ざっくり言って、これがラブコメに限らず恋愛映画一般の、すなわち“ボーイ・ミーツ・ガールもの”の王道だろう。どうせ映画なんて絵空事さ、とわかっていても、われわれはこの手のストーリーにからきしヨワイのだ。

 ところが、『ステイ・フレンズ』のウィル・グラック監督は、この最強パターンを、恋愛ナシ、感情ナシの割り切ったセフレ(セックス・フレンド)関係という初期設定で崩してから、さらに物語をもう一ひねりして、ユニークな“ボーイ・ミーツ・ガール”的結末に着地させる。

 ただしグラックは、ハリウッドのクレイジーな古典的ラブコメディーのツボをしっかりと押さえてもいる。たとえば、登場するや、そのイケイケのハイテンションぶりで画面を圧する、NYのセクシーでやり手のヘッドハンター、ジェイミー(ミラ・クニス、美人度85%!)。ジェイミーのヒロイン像には、ハワード・ホークス『赤ちゃん教育』(1938年)のキャサリン・へプバーンや、同じくホークスの『男性の好きなスポーツ』(1964年)のポーラ・プレンティスの、快活でおきゃんなキャラが投影されている。

 ちなみにこの2作は、フランク・キャプラ『或る夜の出来事』(1934年)、プレストン・スタージェス『結婚五年目』(1942年)、レオ・マッケリー『新婚道中記』(1937年)と並ぶ、スクリューボール(変人)・コメディの代表作である。ただし、これらの喜劇の撮られたハリウッド古典期は、倫理規定=ヘイズ・コードによって、性描写や性的卑語は厳禁されていたから、セフレなどというコンセプトやその他もろもろの下ネタは描きようがなかった。それゆえ当時は、幸か不幸か、『ステイ・フレンズ』のジェイミーのドッキリ発言の連発(「あっ、そこがイイの、もっと責めて」など)は、もってのほかだった。

 ジェイミーに強引にヘッドハントされる(NYへと転職を斡旋される)LA在住の敏腕アートディレクター、ディラン(ジャスティン・ティンバーレイク)は、あっという間に彼女と意気投合するものの、

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