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さよなら妖怪人間ベム、60年代少年あこがれの「不在の父」よ 

鈴木繁 朝日新聞編集委員(文化)

 「早く人間になりた~い」。うう、懐かしすぎる。

 先週末から日本テレビ系で始まった実写版「妖怪人間ベム」を見た。あまりにも有名なこのセリフも継承された。でも、まったく変わってしまったものがある。ベムのキャラクターから、当時の子どもが憧れた「父」の相貌が消えてしまった。ファンタジーゲームのキャラみたいな銀髪の亀梨和也くんに重ねることができるのは、せいぜい「お兄さん」だ。実写版妖怪人間たちは、世代を超えて集まったオフ会仲間のように見える。

 アニメ版の「妖怪人間ベム」の放送が始まったのは、1968年の秋。この年水木しげる原作のアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」は年初から放送され、藤子不二雄「怪物くん」のアニメ版は春に始まっている。この年は手塚治虫御大まで、妖怪時代劇「どろろ」を「少年サンデー」に載っけていたくらいの妖怪イヤー。ブームを最後尾から追っかけるベムの出発点が「えらいハヤってるようだから、ここはうちもひとつ妖怪・化け物系のアニメをやっておくか」という、まあ言ってしまえば安直な時流便乗型の企画であったことは想像に難くない。

 それが、数知れないほどの再放送を経て、今につながる伝説のアニメになった。流行の追随から始まったから、かえって意地になって模倣を嫌ったのか。こんな特異で、独自性のある世界観はない。

 出自からして凄い。

 「暗い、音のない世界で一つの細胞が分かれて殖えていき……」というオープニングでもうかがいしれるように、ベムたちはうらさびれた実験室みたいなところで、人知れず偶発的に発生している。鬼太郎のように、父が目玉だけになっても心配してついてくることはなかったし、鉄腕アトムのように、死んだ子を蘇らせようと父が作ってくれた機械の体でもない。

 68年は若者反乱イヤーでもあった。フランスでは五月革命が起こり、日本では全共闘運動が広がっていった。「妖怪人間ベム」もまた大人社会と断絶した世界観を持っていた。伝統や継承とはまるっきり縁がない。どこか欧州あたりの異国の雰囲気。かといってモダンさはかけらもない。茶色やグレーや紫が支配的な全体にどす黒い画面。おどろおどろしい厭世的な世界観と、実態から離れた英雄的な理想主義。それらが、当時の子どもたちの気分に妙にハマった。

 「暗い」のは出自だけではない。

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