四ノ原恒憲(しのはら・つねのり) 四ノ原恒憲(朝日新聞文化グループ)
1951年、大阪市生まれ。1976年、朝日新聞社入社。1986年から東京本社学芸部で文化面担当に。文化面デスク、読書編集長などをつとめる。2005年から2011年5月まで文化担当の編集委員。2010年4月から1年間、書評委員も。現在、読書面担当。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
何となく作家と一般の人々が疎遠になってきたなあ。急死した北さんのことを思い出しながら、そんなことを考えた。テレビのニュース・バラエティー番組のようなところで、下世話なコメントも辞さないような方々じゃないですよ。少なくとも、戦後日本の文学史に残るような人たちが、現役でバリバリ書いていた時にです。それが、実は大きな意味があったように思うのですが。
例えば、村上春樹さんは、とても健康的な生活をしているようなことは分かるが、第一、どこに住んでいるかさえ定かでない。でも、北さんや遠藤周作さん、佐藤愛子さん、吉行淳之介さんらのことを考えてみる。時代でいうと1960年代から80年代ぐらいだろうか。
その面々は、やや小難しくいえば「第三の新人」と呼ばれた人たちだ。北さんだけ少し年下でデビューも遅かったので、そうは呼ばれないが、交友関係、作風などとても近しい。当時は、とかく「軽量視」されがちな作家たちだったが、それまでの作家と違う彼らの作風と振る舞いが、結果、普通の人々や、本を読み始めた若者にとって”純文学”を近しいものにしていた。今と違って。
戦後すぐから、”文壇”で活動しはじめた作家たちの作品(野間宏、大岡昇平らで、第一次戦後派、第二次戦後派と後に呼ばれた)は、当然、戦争の反省から、理想主義的で、思想的で、西欧的であり、政治的発言も辞さなかった。まあ、難しいし、真面目。まなじりを決して正対しないといけないような圧力があった。ただでさえ軟弱な者にとっては、つらいし、とっつき難い。
その後に芥川賞などを受けた先の作家たち(だから第三の新人)は、恐らくそれへの反発
論座ではこんな記事も人気です。もう読みましたか?