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 129分があっという間に過ぎてしまう『ヒアアフター』は、見るたびに心が震える、奇跡のような映画だ。

 傑作を連打しつづけているクリント・イーストウッドが、「傑作」という水準をさらに突き抜けて、このような“超傑作”を撮り上げたこと自体、映画史上の大事件だといえるが、巻頭に津波のシーンがあるため、「3・11」以後やむなく続映中止になった本作が、遂にブルーレイ&DVD化されたことも、まぎれもない事件である。

拡大クリント・イーストウッド

 まず、別々の場所における3つの物語をゆるやかに語り起こしながら、後半でそれらを一つに織り上げていくイーストウッドの<語り>が、文字どおり神がかったように冴えわたる。

 ――パリ在住の敏腕ジャーナリスト、マリー(セシル・ドゥ・フランス)は、東南アジアのリゾート地で大津波にのまれて死にかけるが、その呼吸停止時に見た不思議な光景が帰国後も脳裡を去らない。マリーは休暇をとり、自分の臨死体験の正体を追求し始める。彼女にとって、それは同時に、それまでの彼女の人生の意味を問い直すことだった。

 いっぽう、サンフランシスコ在住のジョージ(マット・デイモン)は、かつて霊能者/霊媒として活躍していたが、今は港湾労働者として働いている。ジョージは、なぜ自分にだけ死者の声が聴こえるのか? と自問しつつ、自分の超能力を贈与/ギフトとしてではなく、「呪い」と考えるようになり、それを封印しようとしている。

 ロンドンで母と双子の兄と暮らすマーカス(ジョージ&フランキー・マクラレン)は、ある日交通事故で兄を亡くす。薬物依存の母と引き離され里親に預けられたマーカスは、もう一度兄と話したいと切に思い、何人もの霊能者を訪ね歩くが、出会うのはニセモノばかり。が、マーカスはやがて、ジョージの古いウェブサイトを見つける――。

 こうした、パリ、サンフランシスコ、ロンドンを舞台にする3つの独立した物語を合流させるには、<触媒>や<媒介>、ないしは<縁>を仕掛ける作劇が必要だが、イーストウッドはそれらを、実にさりげなく、かつ効果的に作中にインプットする。その中でいちばんの要は、いま触れた、兄を亡くしたマーカスが、ウェブサイトを通じてジョージに出会うという展開だ(厳密にいえば、インターネットという、運が良ければ“他者とつながる”ことのできるツールが、最初の触媒である)。

 ジョージはといえば、 ・・・ログインして読む
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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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