2011年11月07日
傑作を連打しつづけているクリント・イーストウッドが、「傑作」という水準をさらに突き抜けて、このような“超傑作”を撮り上げたこと自体、映画史上の大事件だといえるが、巻頭に津波のシーンがあるため、「3・11」以後やむなく続映中止になった本作が、遂にブルーレイ&DVD化されたことも、まぎれもない事件である。
まず、別々の場所における3つの物語をゆるやかに語り起こしながら、後半でそれらを一つに織り上げていくイーストウッドの<語り>が、文字どおり神がかったように冴えわたる。
――パリ在住の敏腕ジャーナリスト、マリー(セシル・ドゥ・フランス)は、東南アジアのリゾート地で大津波にのまれて死にかけるが、その呼吸停止時に見た不思議な光景が帰国後も脳裡を去らない。マリーは休暇をとり、自分の臨死体験の正体を追求し始める。彼女にとって、それは同時に、それまでの彼女の人生の意味を問い直すことだった。
いっぽう、サンフランシスコ在住のジョージ(マット・デイモン)は、かつて霊能者/霊媒として活躍していたが、今は港湾労働者として働いている。ジョージは、なぜ自分にだけ死者の声が聴こえるのか? と自問しつつ、自分の超能力を贈与/ギフトとしてではなく、「呪い」と考えるようになり、それを封印しようとしている。
ロンドンで母と双子の兄と暮らすマーカス(ジョージ&フランキー・マクラレン)は、ある日交通事故で兄を亡くす。薬物依存の母と引き離され里親に預けられたマーカスは、もう一度兄と話したいと切に思い、何人もの霊能者を訪ね歩くが、出会うのはニセモノばかり。が、マーカスはやがて、ジョージの古いウェブサイトを見つける――。
こうした、パリ、サンフランシスコ、ロンドンを舞台にする3つの独立した物語を合流させるには、<触媒>や<媒介>、ないしは<縁>を仕掛ける作劇が必要だが、イーストウッドはそれらを、実にさりげなく、かつ効果的に作中にインプットする。その中でいちばんの要は、いま触れた、兄を亡くしたマーカスが、ウェブサイトを通じてジョージに出会うという展開だ(厳密にいえば、インターネットという、運が良ければ“他者とつながる”ことのできるツールが、最初の触媒である)。
ジョージはといえば、
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