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【ポスト・デジタル革命の才人たち】サエキけんぞうさんインタビュー 「メディア環境と『ロック魂』」 (上)――ロックとは何かを突き止めたい

聞き手:服部桂・朝日新聞ジャーナリスト学校シニア研究員

◆2010年代のロックの可能性は?◆

――若い人たちが離れて行っている今こそ、ロックを語らなければならないということですね。私も例えば、菊地成孔さんとアルバート・アイラーの東京大学の講義録(『東京大学のアルバート・アイラー――東大ジャズ講義録・歴史編』文春文庫)を読んでわくわくしたのですが、サエキさんの今度の本はそんなロックを聴きかじっただけの読者にも、戦後の歴史やメディアの歴史を背景としたロックの影響が非常によく理解できるいい本です。音楽マニアでなくとも誰もが楽しめる本になっていると思います。

サエキ ありがとうございます。読者対象に学生を意識しているので、全体の大きな流れをおさえることと、若者たちが苦手なルーツの話をバランスよく構成しました。学生たちはフラットにどんどんリンクを張っていく横型の発想は得意なのですが、縦型のルーツ志向には余り意識が行かない。それをきちんと提示したいと思っていました。また、音楽ファン向けには例えば、モッズ(1960年代前半に英国で隆盛した音楽とファッションを中心にしたムーブメント)の影響力について、英国のバンド文化がどのような精神的背景を持っていたのか、という点を明らかにしようとしています。要は、米国のバンドと英国のバンドのどこが違うのかということですね。

 私はロックというジャンルは終わってしまった過去のものとは思っていません。この本の最後に少しだけちらつかせたのですが、ロックは実は歴史的に何度も終わりかけました。第一の「死」は1970年代初頭にビートルズが解散した頃。ビートルズ後期から始まったサイケデリックロックやニューロックといったムーブメントも駄目になった時期で、当時の雑誌を見ると「ロックは終わりだ」という見方が提起されていました。

 その次は、パンクロックが出てくる直前の1976年頃。この頃には、米国のロック関係者が厭世的になって、まさに「ホテル・カリフォルニア」の歌詞のような雰囲気がありました(注:We haven’t had that spirit here Since nineteen sixty-nine)。三つ目は、80年代の終わりにニルヴァーナが登場する前、つまりプログラミングされたコンピュータ・サウンドが行くところまで行きついて、行き詰まった時期です。メン・アット・ワークやインエクセス、スクリッティ・ポリッティなどの高純度な音がバンドの生音のよさを駆逐してしまい、その先が見えない状態でした。ところが、ニルヴァーナがいきなり「降誕」して大ヒット。生音の時代が復権しました。こんな風に、ロックは何らかのタイミングで来るべき時が来ると揺り戻しが来る音楽です。逆に言えば、そうした揺り戻しが起きなければ終わってしまう。

拡大クレイジーケンバンドのリーダー、横山剣さん

 もちろん、ロックだけを永遠に続く不磨の音楽として神格化すればいいかというと、それも違う。既にあるものを前提として歴史を振り返ったり、事実を認識したりするのではなく、新しいメディアやメディアに関する技術については、予測した通りにならないことの方が多いということを示したつもりです。この本でも、5.1チャンネルが普及する前に試みられた4チャンネルステレオやデジタル・マイクロ・カセット(1990年代初頭に発売された切手大のデジタルメディア)など色々な例を出しました。現在、人気のアニメ音楽もロックの影響を下敷きにした要素が多いなど、ロックのスピリッツは形を変えて生きているとも言えます。だから伝統が息絶えつつあるとは思わないけれど、先行きは楽観視できない、予断を許さないという認識です。

――今の人たちは、ロックというとまず内田裕也を思い浮かべるかもしれない。そして、それとJ-POPは別のものだと思うでしょうね。

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