聞き手:服部桂・朝日新聞ジャーナリスト学校シニア研究員
◆「iTunes」ではなく「YouTube」が音楽文化を担う◆
――映画やテレビ、ラジオなどのジャンルにおいて、音楽という要素が大きな役割を果たしています。それが新しいメディアを普及させる原動力になっている。でも、「iTunes」が今後の音楽文化やネット社会をどのようにドライブしていくのか。音楽を自らの単なる商売道具、ただの添え物にしてしまうのか。何十年も先のことを見通すのは難しいと思いますが、音楽が今後どうなってしまうのか気になります。そもそもロック黄金時代のビートルズのリマスター盤などをノスタルジーよろしく買いまくる旧世代はたくさんいますが、若い人たちが買わなければ過去の音楽や新しい音楽との出会いの場はどうなっていくのか。
サエキ 非常に憂慮すべき状態、とまずは申し上げるべきですが、音楽の普及の仕方という意味では、例えば無料で配るだけでなく、「図書館が読書体験を広める」という形もあります。現在、「YouTube」でものすごくたくさんの音楽を聞くことができるわけで、いわば「ウルトラルーツ志向」とでも言うべき豊かな音楽体験が可能になっています。例えば、私も、エルヴィス初テレビ出演の「トミー・ドーシー・ステージ・ショウ」の全6回分なんて「YouTube」で見たわけです。これを市販のDVDで見ようと思ったら大変難しい。「エド・サリヴァン・ショー」なら見ることができると思いますが、「トミー・ドーシー・ステージ・ショウ」となるとマニアのお宅か米国テレビ局のアーカイブで探すしかないでしょう。このようにネットで音楽に触れるには、聴く側に調べる気があるかどうかがポイントです。
今回の本のワールド・ミュージックの項でも書いたのですが、ネット化、グローバル化によって音楽の受容機会が自然に増えると思われていました。でも、それは幻想でした。新しい音楽が広まる際には、汗を流してそれを広めようとする行為がなければ広まらない。単に音楽流通のインフラを用意して、「ここに置いてあるからクリックして下さい」というだけでは広まらない。
私のところにも、よくそうやって「自分の作った音楽をクリックして聴いて下さい」というメールが来るのですが、普通はなかなか聴かない。相手にどうしても聴いてもらいたいなら、やはり最低限、CD-Rに焼いて送るしかない。あるいは、美女のヌード映像つきだから、それを見ながら聴いて下さいという案内があれば聴くかもしれない(笑い)。また、非常に親しい人、恩人の紹介なら聴いて感想を送るでしょう。そうした、何かやむにやまれぬきっかけがない限り、単にクリックして音楽を聴くというシンプルな仕組みだけでは、いくら簡単に購入できるシステムだったとしても音楽は売れない。今ならネットでキンシャサのヒットチャートからアラスカの現地住民の音楽まで何でも聴けるわけですが、ワールド・ミュージックは日本で広まらなかった。
私が一瞬だけうれしかったのは、