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新連載【論壇女子部が行く!】 古市憲寿(下)――もしかしたら希望って必要ないかもしれない

聞き手=論壇女子部

●身近な関係性の大切さ

――先ほどもお話に出ましたけれども、古市さんは、テーマは違えども、「身近な関係性の大切さ」をベースにしているというところで一貫していると思うんです。それは自然と出てきたお考えなんですか? 「言論人」の中ではわりと珍しいタイプなのかなと思うんですが。

古市 なんでしょうね? 実際に仕事をしていると、ボトルネックになるのは、本当にどうしようもない人間関係だったり、やりとりの行き違いだったりして、大きなかっこいい理論なんてまったく役に立たないんですよ。ビジネス書が格好よく連ねるカタカナ語なんて、まず無駄。人を説得するにしても、ほとんど論理とかは関係なくて、属人的な愛嬌や笑顔やそれまでの人間関係の影響のほうがよっぽど大きい。そういうことで人や社会は動いていくということを、僕は働いてみて実感しました。だから、大きいことを振りかざしてみても意味がないとまでは言わないけれど、それは僕のすべきことではないと思ったんです。逆にその状況の中でもなお人が頑張れることがあるとしたら、やっぱり自分もしくは自分の大事な人のために動くことしかないし、そこにしか持続可能なものはない気がするんです。

 東日本大震災が象徴的ですけど、一時は日本中がボランティアブームや「がんばろう、ニッポン」という機運で盛り上がったにもかかわらず、今ではかなり忘れられてしまっている。でも、福島で生きている人や小さい子供のいるお母さんはそうは言っていられない。結局、人がやることって自分の利害に直結するものでないと続いていかない、だから、そこからスタートするしかないっていうのは、日々生活しながら僕が思ってきたことです。「身近な関係性の大切さ」で一貫している、というのはそういうことなんだと思います。

――先日、古市さんがtwitterで、震災後のこういう状況の中で「希望があるとすればなんなのか」といったことをつぶやかれていたのが印象的でした。

古市 あー、寝起きでなんか書いたかもしれないですね。

――(笑)。たとえば「地元が大切」っていうときも、「その土地そのもの」が大切ということもあるけれども、そればかりじゃなくて、「大切な人がいる場所」が大切ということもあるわけで……ということをつぶやかれていたと思うのですが。

拡大東京・品川で

古市 そうですね。昔、ピースボートに乗ったとき、船に穴があいて足止めをくったんですけど、その間にフロリダの写真美術館に行きました。そこに子供たちのワークショップが展示してあったんです。「もしもこの町がなくなってしまったら」っていうテーマで、「あなたがこの町の象徴と思う大事なものを撮ってきて下さい」みたいな感じで、子供たちが撮影した写真が集められていたんです。

 そうしたら、ほとんどの写真の被写体は人間だったんですよ。自分のお母さんとか、おじいちゃんとか。建物なんかは少なくて。だから人って、その土地に生きているということ自体よりも、人との関係性の中で生きていて、そっちのほうが比重が大きいんだって思いました。

 そういうことを考えると、絶対にその場所で過ごしていかなくてはいけないということはないのかもしれない。例えば東北のこれからを考えるときも、そもそも東北が米どころになったのは、そんなに古いことじゃないし、人が伝統であるとか慣習だと思っていることって、そこまで永久でも不変でもないことが多いので……ということをぼんやり考えてつぶやきました。

――「週刊読書人」で、『「フクシマ」論――原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)が話題になっている同世代の社会学者・開沼博さんと対談をされていましたよね。ここでも「希望」について触れられていて。

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