2011年12月09日
クリスチャン・ガイイの同名小説をベースにした映画だが、レネの熱心なファンではなかった私にとって、本作のはじけた面白さは、まさかの想定外だった(レネは現在89歳だが、本作を発表したのは86歳の時)。
――歯科医の中年女性マルグリット(サビーヌ・アゼマ)は、街でひったくりに遭いバッグを奪われる。バッグの中にあった財布を拾った初老の紳士ジョルジュ(アンドレ・デュソリエ)は、それを警察に届ける。財布は無事マルグリットの元に戻り、彼女はジョルジュにお礼の電話をかける……という展開が、どんどん意外な方向にズッコケていくのは、何よりもまず、妻子持ちのジョルジュが、恋愛大国フランスにふさわしく、常識人だが“完全肉食系”のナンパ男だからだ。
そして、全身恋愛体質のジョルジュと、すっとぼけたようなマルグリットが交わす電話のやりとりからして、ひどくおかしい。
――「お礼を」(マルグリット、以下M)、「それだけ?」(ジョルジュ、以下J)、「他に何を?」(M)、「“会いたい”とか」(J)、「必要を感じないわ」(M)、「がっかりだ」(J)……といった按配だが、このように前半では一方的に攻め続けるジョルジュに対して、マルグリットが終始彼のアタックをはぐらかし、色よい反応をみせないという作劇がじつに上手い。しかも、中盤の映画館の場面を境に二人の関係は逆転し、軽飛行機操縦という二人の共通の趣味を介して、ドラマは奇天烈な方向へ転がりだすので、観客は画面に釘づけになる。
ともかく、一歩まちがえば奇をてらっただけのジャンク映画になるところを、優雅さとデタラメさを絶妙なさじ加減でブレンドして、大胆かつ繊細な恋愛喜劇に仕上げたレネ翁には感服するのみ。ということで、さて、演出の話である。
本作はまず、原作を忠実に「映画化」した文芸映画などでは、さらさらない。たいして面白くもないガイイの二流の小説は、この映画にとって単なるネタにすぎない。つまりレネは、映画ならではの手法を自在に操り、原作では到底味わえない視聴覚的な旨味を供してくれるのだ。
たとえば、レネのお家芸である移動カメラが、滑るように快走し何度か場面を転換するのだが、そもそも、原題の「雑草」「狂った草」にインスパイアされたかのように、雑草に覆われた地面を俯瞰でとらえたカメラが、画面奥へと流麗に直進していく移動撮影で映画は始まる。そしてそれは、街路を行き交う人々の靴をとらえる映像へとリレーされ、やがてマルグリットの靴を焦点化し、パリの靴屋のショー・ウインドーをなめらかな横移動でうつし、彼女が靴を衝動買いする場面でストップする。
そこで上手いなあと感心させられたのが、
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