鈴木京一(すずき・きょういち) 朝日新聞文化くらし編集部ラジオ・テレビ担当部長
1963年生まれ。東京大学教養学部卒。1987年、朝日新聞社入社。東京と大阪の旧学芸部や文化グループで、主に論壇関係の取材記者や編集者をしてきた。女性アイドルのライブ見物が20年来の趣味。好物は「ハロー!プロジェクト」。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
神田沙也加を初めて見たのは、2002年、松田聖子の大阪城ホールコンサートだ。聖子が一人で娘のデビュー曲を歌い始める。2コーラス目で予告なしに沙也加(当時はSAYAKAという芸名だった)が現れ、デュエットに至る。沙也加は大舞台にもかかわらず堂々とした歌いぶり。二人とも白いスカートで、アイドル道に襲名披露があるならこういうのを指すのだろう、と思わせた。
聖子のコンサートは後半で往年のヒットメドレーをやるのがお約束で、客もおそらくそれを楽しみにしている。私は90年代から見ているが、いわば時間は止まっている(変わり映えがしないので、最近は5年おきに行っている)。
とはいうものの、20年以上にわたって武道館クラスでコンサートをできる女性歌手はまれだ。問題は来年50歳を迎える聖子の加齢だけなのだが、沙也加は母親と声もよく似ており、2代目松田聖子を名乗らせれば永久に続けられるよなあ、と思わせた。
ちなみに聖子が大阪城ホールでコンサートをするときは、終演直後に大阪城ホール向かいにある宿舎のホテルに駆け戻り、ホールから出てきたファンに窓から手を振る、というのが当時のお約束で、そのときは沙也加も一緒に手を振った。まるで皇居の一般参賀だ。
その後の沙也加はいったん芸能活動を休止する。芸能マスコミでは恋人をめぐり母親が反対した、などと伝えられた。休業中のライブで「沙也加ちゃんは?」という客席の声に聖子は「自立していくと思います」という趣旨の返事をしていた。
2006年、沙也加は芸能活動を再開、
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