メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

【ポスト・デジタル革命の才人たち】千葉麗子さんインタビュー 「『電脳アイドル』の過去から『脱原発』」の未来へ」 (上)――デジタルではない、人間のリアルな部分を発信していきたい

聞き手:服部桂・朝日新聞ジャーナリスト学校シニア研究員

●私の欲しい愛は芸能界にはなかった

――順風満帆だったのに、アイドルを突然やめましたね。それはなぜだったのですか。タレント業だけでなく、インターネット関連の、省庁の審議会や委員会などにも数多く出席したりして、活躍していたのに。

千葉 自然な流れなんです。周囲から、「早くこっちの(デジタル系の)世界においでよ」と言われていたし、アイドルじゃなくても自分の好きなことは発信できる時代になると思っていて、アイドルや芸能界というものが意味を持たなくなるのではないかと思ったところはあります。

 やっぱり、いま自分を見つめ直して思うのは、当時芸能界に入ってはみたけど、私の欲しい愛はそこにはなかった、というのが大きいですね。あのころははっきりわからなかったけど、本当に欲しかったのは、ファンからの不特定多数の愛じゃなかったんだと気づいたんですよ。

――それから自分の会社「チェリーベイブ」を立ち上げますね。

千葉 ジョーイ(伊藤穣一氏)たちが、人間としての器が大きくなるから、会社という組織をつくってみたら、と助言してくれたんです。有限会社の最低資本金300万円からやればいいと。それならできると思ったんですね。結局、アイドル時代に貯めたお金が1000万円無かったので、有限会社にしたんですけど。社長になりたいというよりは、自分自身の成長のために会社というものを作ってみたかった。その後、増資して株式会社にしました。

 立ち上げた当初は、慶応大学・湘南藤沢キャンパスの村井純先生がやっていた、「デジタル原宿プロジェクト」に参加していました。森ビルと組んで、ファッションショーを企画して当時のストリーミングで配信するとか。そうしたプランニングやプロデュースからスタートしました。その後はウェブの制作が中心ですね。もうひたすらウェブを作って、作って、作って納品して――という日々でした。

 時代の変化は激しくて、その後は携帯のサイトも手がけ、ゲーム、美容、ビューティーと広がっていきました。

――私生活の大きな変化では、1999年、20世紀の最後に結婚しましたね。それから、お父さんをがんで亡くして……。

・・・ログインして読む
(残り:約829文字/本文:約4470文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。