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「評判のいい店」の「評判」の元ネタは「評判」である

小田嶋隆

小田嶋隆 小田嶋隆(コラムニスト)

 滅多に外食をしないせいか、食べ物の味にうとい。世の中にあるメニューの何が美味で、何をもって不味いと判定するのか、正直なところよくわからない。しかも、生まれつき極端な少食で、おまけに、いいトシをして偏食と来ている。だから、人と会食するのはちょっと苦手だ。そういう機会に遭遇すると、いつも弁解をしている気がする。

 「いいえ、体調が悪いわけじゃないんです」

 「別に気分を害してるのではありませんよ」

 「えーと、食べ残すのは単に少食だからです。他意はありません」

 「ブロッコリとにんじんと玉ねぎをヨケるからといって、人間のできあがりが偏狭だと思われるとちょっとつらいです」

 うん。非常に面倒くさい。

 だから、おいしいと評判の店に足を運ぶのは、むしろ気が重い。そういう店では、食べ残すためのハードルが高いからだ。

 以下の文章は、一人の偏食家の意見だと思って読んでほしい。人様に押し付けるつもりはない。グルメ情報が生命への賛歌であり、人々と分かち合うにふさわしい福音であるのに対して、偏食情報はどこまで行っても愚痴に過ぎない。その旨はよく承知している。ですので、不愉快だと思ったら聞き流してください。

 私は、プロが作る料理の味に大きな差はないと思っている。もちろん、微妙な違いはあるのだろうが、数字に直せばせいぜい20パーセント内外の誤差に過ぎない。食べ手の側に好みのバラつきがあることを思えば、その時々の気分や状況次第で、評価は容易に逆転する。

 私自身の好みを言うなら、私は、静かな店が好きだ。

 行列ができているラーメン屋と、閑古鳥の鳴いているラーメン屋が隣り合っていたら、私は必ず閑散とした側の店に入る。多少味が落ちても、背後に人が立っているよりは、ずっと食べやすいからだ。

 思うに、人々は、行列を食べている。あるいは評判にアディクト(熱中)している。

 別の言い方をするなら、元来誤差でしかない味の違いをアンプリファイ(増幅)しているのは、自分の舌ではなくて、他人の評価だということだ。

 「評判」は、味だけでなく、スタッフの接客や店内の清潔さや、調度の趣味の良さといった様々な要素を総合した上で決定されるものだ。が、「評判」の形成に一番大きな影響を与えているのは、実は、「評判」であったりする。もう少し詳しい言い方をするなら、「自分の評価を決定する際に一番大きくモノを言う判定基準は、他人による評価の高さだ」ということになる。

 かくして、グルメ情報においては、「『評判』の元ネタは『評判』である」という抵抗不能なループが形成される。ちなみにこれは勝間和代が「はてブトルネード」(はてなブックマークを活用した口コミによるマーケティング。これによって彼女は最初のベストセラーを生んだのだそうだ)と呼んだものと同じ構造だ。

 「要するに錯覚ってこと?」

 「ってか、ヤラセじゃね?」

 そうかもしれない。

 最近話題になった「やらせ業者による『食べログ』不正操作事件」などは、その典型ということになる。カネで買った評判であっても、その評判を食べた人たちの多くは大いに満足していたわけだからだ。

 ということは、他人の評判に踊らされているグルメの皆さんは、軽薄で考えの足りない情報弱者なのだろうか。

 むずかしい質問だ。

 私の思うに、

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筆者

小田嶋隆

小田嶋隆(おだじま・たかし) 小田嶋隆(コラムニスト)

1956年、東京・赤羽生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、食品メーカーに就職するも8ヶ月で退社。その後、テクニカルライターなどを経て、現在は隠者系コラムニストとして活躍中。さいたまスタジアムに足繁く通う筋金入りの浦和レッズ・ファン。著書に『イン・ヒズ・オウン・サイトネット――巌窟王の電脳日記ワールド』(朝日新聞出版)、『サッカーの上の雲――オダジマタカシサッカ~コラム大全』(駒草出版)、『テレビ救急箱』(中公新書ラクレ)などがある。現在、日経ビジネスオンラインで連載中のコラム「ア・ピース・オブ警句」をまとめたコラム集『地雷を踏む勇気――人生のとるにたらない警句』(生きる技術!叢書、技術評論社)が好評発売中。近刊に『その「正義」があぶない。』(日経BP社)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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