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黒沢清はイーストウッドを超えた!?――WOWOWの連ドラ、『贖罪』第1話に驚愕!

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 1990年代以降、『キュア』『叫(さけび)』などのサイコ・スリラーを中心に、多様なジャンルの傑作を撮りつづけてきた黒沢清監督。いうまでもなく、名実ともに邦画界のトップランナーだが、海外を見渡しても、黒沢清以外に真に天才の名に値する現役監督は、イーストウッド(米)、ゴダール(仏)、ホウ・シャオシェン(台湾)ぐらいしか見当たらない。まさに、いま最も新作が期待される映画作家の一人だ。

拡大黒沢清監督

 だというのに、2008年製作の『トウキョウソナタ』以来、黒沢は一本も映画を撮れずにいた(いくつかの企画が頓挫)。だがこの1月、彼の新作が不意打ちのように登場した。――黒沢自身が脚本を手がけたWOWOWの連ドラ、『贖罪』(湊かなえ原作)である。それぞれの回が完結しつつ、なおかつ次回へとリレーされ、最終回(第5話)で決着がつくオムニバス(連作)形式の犯罪スリラーだが、おそらくTVドラマ史上“最も危険な”本作は、もう絶対に見逃せない! 

 ここでは第1話について書くが、これが何と、期待をはるかに上回る、いや、期待なんてものを木っ端みじんに打ち砕く、破格の超傑作だった(黒沢作品では毎回このように、彼ならこの出来栄えは当然だ、とは思わずに、“まさかここまでやるなんて!”と思ってしまうが、彼は『贖罪』第1話を撮ることで、ついにイーストウッドを超えたかもしれない)。

――ある田舎町で、小学生のエミリ(木村葉月)が男に殺される。その場に居合わせたエミリの同級生の少女4人は、犯人の顔を思い出せず、事件は迷宮入りする。だが、エミリの母・麻子(小泉今日子)は、彼女たちに犯人を見つけるか、それ相応の“償い/贖罪”をするよう、非情なまでに強く迫る。

 ここまでが、シリーズ全体のドラマ上の初期設定で、第4話までは、毎回、成人した同級生4人のうちの1人が主人公となる。つまり第4話までは、4人が1人ひとり順ぐりに、麻子の復讐/贖罪要求に巻き込まれていく。

 第1話は、事件をめぐる一連の場面ののち、エミリの母・麻子/小泉がいったん後景に隠れ、15年後の物語になり、目撃者の1人である紗英(さえ)/蒼井優と、やがて彼女と結婚する孝博/森山未来のエピソードが前面に出る。つまり、紗英と孝博のラブストーリーに、とりあえず観客の興味は向かう。

 そして、観客が忘れたころにフッと亡霊のように現れる麻子の存在によって、本シリーズの核心が麻子による犯人探しであることに、そのつど観客の意識は引き戻される(小泉今日子の凍りついたような無表情と白塗りに近いメーキャップは、復讐心に燃える麻子のキャラクターにジャストフィット!)。こうしたプロット上の巧みな仕掛けが、前述のオムニバス形式を可能にし、と同時に、陰の主人公・麻子の復讐劇/犯人探しが、シリーズ全編を貫くことをも可能にしているのだ。なんとも心憎い作劇である(非連続的連続!)。

 さて、見合いで知りあって結婚する紗英と孝博のラブストーリーは、こんなのTVでやっていいの!? と不安になるほど、超ショッキングだ。もっとも、だからこそ観客はいったん犯人探しをお預けにされ、このエピソードに釘づけになるのだが。

 結婚前、紗英は孝博に、自分はヒトの雌として欠陥がある不良品で、今まで一度も生理になったことがない、と言う(紗英はそれを、頭の奥で体が大人になることを拒んでいるからだ、と説明する)。

 すると孝博は、

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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