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 この数年、ミステリーから時代小説に文庫の主流が移ってきたような気がする。といって池波正太郎、藤沢周平、司馬遼太郎という従来のものではない。もちろん、中里介山、山本周五郎、吉川英治、子母沢(しもざわ)寛、海音寺潮五郎などでもない佐伯泰英『居眠り磐音』(双葉文庫)などの書き下ろしである。

 単行本の2次利用が文庫である。売れ行きのいいもの、評判のものが選ばれて文庫になる。ところが、単行本を飛び越えて、はじめから文庫としてスタートする。

 なぜこういった刊行形式が起こったのだろうか。文庫の場合、単行本並みの初版部数だとすれば、印税は知れたものだ(例えば、定価600円で部数5000部なら、普通は30万円)。これでは一冊書き上げた労力に到底見あわない。それなら定価の高いハードカバーで出せばいい。

 しかし、出版不況の折、そんな簡単にはいかない。売れないことが少なくないからだ(もちろん文庫だって売れるとは限らない。その場合でも、単行本にくらべて危険負担が少ないという判断がある)。出版社側の苦肉の策が書き下ろし文庫になった気もする。

 また、次のようなことも考えられる。

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筆者

鷲尾賢也

鷲尾賢也(わしお・けんや) 鷲尾賢也(評論家)

1944年、東京生まれ。評論家。慶応義塾大学経済学部卒業。講談社入社。講談社現代新書編集長、学芸局長、取締役などを歴任。現代新書編集のほか、「選書メチエ」創刊をはじめ「現代思想の冒険者たち」「日本の歴史」など多くの書籍シリーズ企画を立ち上げる。退社後、出版・編集関係の評論活動に従事。著書に、『編集とはどのような仕事なのか――企画発想から人間交際まで』(トランスビュー)など。なお、歌人・小高賢はもう一つの顔である。小高賢の著書として『老いの歌――新しく生きる時間へ』(岩波新書)など。2014年2月10日、死去。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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