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心理劇と活劇のみごとな結合!――黒沢清のWOWOW連ドラ、『贖罪』第2話 

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 『贖罪』第2話「PTA総会」にも、第1話同様、黒沢清ならではの“クールな不気味さ”が張りつめている。だが第1話は、物語、人物造形、ビジュアルのすべてが、まさしく超絶に“突き抜けて”いた。

 いっぽう第2話は、「贖罪=償い」というテーマを鮮明に焦点化する心理劇と、それが引き起こす活劇/暴力描写とが緊密に結びついた傑作だ(開巻まもなく物語が15年後になり、いったん後景に隠れたエミリの母・麻子/小泉今日子が断続的に登場するところは、第1話と同じ)。

 ――エミリ殺人事件の際、恐怖から何もできなかった真紀(小池栄子)。彼女は15年後、強い自責の念にとらわれたまま、厳格な小学校教師になっていた。ある日、真紀のいじめへの厳しい対処が問題にされるが、同僚の田辺(水橋研二)に救われる。

 そんななか、学校の屋内プールに暴漢が侵入する事件が起こる。真紀は日ごろから鍛えていた剣道の腕を発揮し、暴漢を叩きのめす(手に汗握るその活劇シーンについては後述)。 

 真紀は学校で英雄視されるが、他方、人気の熱血教師だったのに暴漢の前から逃げ出した田辺は、「腰ぬけ教師、職場放棄」などと糾弾される。が、それも束の間、やがて真紀の暴漢退治は、「過剰防衛」だの、人気取りのパフォーマンスだのと、理不尽な批判にさらされる。

 誰かが(たとえばゲスな感じの教頭が?)裏サイトなどで情報を操作している、という暗示が何度かなされるが、しばしば真逆の方向に不安定に揺れ動く「世論」への、あるいはそのように「世論」を操作する国家権力への風刺ともとれる、卓抜なディテールである。

 また、暴漢から逃げた田辺の性格が、じつは病的なまでに歪んでいることが明らかになる終盤でも、人間の心に巣食う怪物を“クール”に描き出す黒沢演出が絶好調だが、ともかく、本作のプロットのねじくれ方もハンパではない(ただし、真紀の人物像はかなり「まっとう」だ)。

 真紀はといえば、自分の暴漢撃退についての釈明をするため、PTA総会で発言することになる。第1話とちがうのは、エミリ殺人事件の目撃者(真紀)が自分の方から麻子/小泉に手紙を書き、彼女を総会に呼ぶ点だ(前半の墓地のシーンでも、真紀はエミリの墓参りに訪れた麻子に自分から声をかける)。つまり「贖罪/償い」に関する限り、真紀は第1話の紗英/蒼井優よりも、15年前の事件に強く呪縛されていて、事件当時自分が無力だったことに強い後悔の念を抱いているのだ。

 もっといえば、暴漢撃退という行為を、真紀は15年前の自分の無力さの「贖罪/償い」として行なったことに気づいてしまい、それについてPTA総会で説明するのだ。まさに前述のように、本作では心理劇と活劇とが緊密に結びついているのである。

 真紀は総会で言う。暴漢撃退が児童を守るためというのはウソ、あれは

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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