青木るえか
2012年01月25日
最初聞いた時に「げっ」と思った。私も第一回を見て(というか予告編見た時から)すぐ言ったんだ「またあの画面かよ!」と。
兵庫県知事と同じとこ見て同じ文句つけてたのか私は。
こういうおっさんの発言て、ビートルズ来日時に「ペートルなんとかというのは一体何者だ、そんな連中に武道館を使わせてたまるか」といった正力松太郎の昔からピントがはずれていると相場は決まっており、私もついにそういうオヤジの仲間入りか、と不安に陥ったわけだ。
しかしよく知事の発言を読んでみると、私が言いたいことと知事の言いたいことは違った。
兵庫県知事は「あの画面は汚い」と、ただストレートに怒っておられる。
私は「あの画面はいいかげんにしろ。というかあの画面の流行の仕方の構造がイヤ」と不快がっている。
……と、こう書いてもなかなかわかってもらえないと思うので、なるべくわかりやすく説明してみます。
まず、『平清盛』における「あの画面」というのは、NHKのドラマで目につくようになった画面の色調というか彩度というか、独特の色使いのことです。
「全体に光に満ちあふれているような」「でもぼんやり薄曇りのような暗さも感じ」「あらゆる人にも物にも、微妙な“古び”がついてセピアっぽい」という画面。「コーンスターチを多用する」と俗に言ったりもするらしい。なかなかうまい言い方かもしれない。片栗粉の、にぶいツヤの粒子が全体に飛び散ってるような感じの画面である。実際使ってたりするかもしれない。
この画面の雰囲気、単館上映の短編映画っぽい画面というか、何か「芸術のかほり」をかもしだしたい時にコレにするとソレっぽくなる、ような、そういう画面です。現在、それが見られるのが『平清盛』、『カーネーション』、そしてこないだ前後編が終わっちゃったけど『とんび』。過去には、『龍馬伝』はバリバリにこの画面だったし、『坂の上の雲』も少しだけその雰囲気はあった。
この画面色調がいつからNHKで登場したのかはっきりしないが、私の記憶では80年代後半に放映された『安寿子の靴』『匂いガラス』あたりがその嚆矢(こうし)ではないかという気がしている。唐十郎原作の単発ドラマで「NHKだからできる芸術ドラマ」。やけに「曇ってるけどまぶしいような画面」だった記憶がある。もう30年前なんでぜんぜん違うかもしれないけど。
でも、そのあたりから「オレはNHKだ。NHKだからこそできる先端の芸術だ」という、鼻持ちならない芸術すり寄り、みたいなのがドラマに混入してきてるとみた。
芸術はいい。私も東京芸術大学に入ってみたかった女である。芸術は素晴らしいです。憧れます、芸術。
しかし芸術にすり寄るとロクなことはない。
NHKだって昔から和田勉とか深町幸男とか、NHKならではの「社会派」「文芸派」の作品はいっぱいあったけど(けっしてそれは「芸術派」なんてことは言われてなかったけど)、それは「画面の色合いでわかる」ようなもんではなかった。
いや、もちろん、今の「あの画面」のドラマは、凝ってるのはそこだけじゃなくて、カメラワークとか脚本とか演出とかも、それなりに凝ってはいるわけだが……その凝り方が、なんといいますか、ゲンナリするような凝り方なんですよ。
一例を挙げますと、『カーネーション』。
最初に言っておくと、『カーネーション』は悪くないドラマだ。今のテレビが「視聴者の皆さまにわかりやすくわかりやすく」を旨としてやりすぎになってる中で、これは「何も言わない」「何もしない」ことで、声高に言うよりももっと強く「いろいろなことを語る」ドラマだ。こういうドラマを毎朝繰り出してこれるNHKの、底力みたいなものは確かに感じる。
しかし、語らない何もしないのはいいとして、それ以外のところでいろいろな「こだわり」が目について、それがどうにもうるさい。
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