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約束という呪い――WOWOW連ドラ、黒沢清の『贖罪』第3話も凄い!

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 『贖罪』(WOWOW)シリーズの第1話、第2話では、エミリ殺人事件を目撃した少女2人が、15年後、取り返しのつかない不幸に見舞われた。第1話では、男性恐怖症を引きずる紗英/蒼井優が夫を殺し、第2話では、強迫的な自責の念を抱きつづけた真紀/小池栄子を悲劇が襲った。

 そして真紀に関して言えば、事件後、エミリの母・麻子/小泉今日子が、犯人の顔を覚えていない、と言った4人の少女に対して、抑揚を抑えた、しかし鬼気迫る口調で言い放った言葉、「犯人を見つけるか、わたしを納得させるような償いをせよ」に、真紀は過剰反応したのだった。

 とするなら、真紀の悲劇の最大の原因は、殺人事件に遭遇したことより、麻子の贖罪要求を過剰に背負いこんでしまったことにある。だから、真紀(をはじめとする4人の目撃者)の人生に災厄の種をまいたのは、エミリ殺しの犯人であると同時に、彼女らに贖罪/償いを容赦なく迫った麻子なのだ。

 さらにいえば、麻子は、もっぱら犯人に向けられるべき復讐心の矛先を、4人の女性たちに(あたかも呪いをかけるように)向けるのだが、それこそが本シリーズの前代未聞の恐怖/面白さの肝のひとつだ。

 さて、第3話「くまの兄妹」である。

 頽廃美と怪奇が狂おしく渦巻いていた第1話や、歪んだ人間心理の描写とハードな活劇場面の相乗効果が傑出していた第2話にくらべて、第3話はホームドラマ的要素の強い、淡々とした作風の作品だ――と書いて、すぐにこの言葉を打ち消したくなるのは、前2話よりもフラット(平坦)だなあ、と思って本作を見ているうちに、黒沢清特有の邪悪なものの描写が、目詰まりを起こしたバスタブのようにいつのまにか水位を上げていて、あっと気づいた時にはもう手遅れで、こちらは見事に黒沢の術中にはまって、あえなくノックダウンされてしまうからだ。ともかく本作も、型破りの傑作である。

 ――晶子(安藤サクラ、怪演!)は、自分のせいでエミリが殺された、という思い込みから、劣等感をかかえて家に引きこもったまま成人した。だが、晶子の思い込みは奇妙に「ねじれた」ものだ。

 すなわち、事件当日、親戚からもらった身分不相応なオシャレな服を着ていた自分が、最初は犯人の標的となったが、犯人は自分より可愛いエミリを殺した、つまりエミリは自分の身代わりになったという、変に飛躍したロジックなのだ(当然、晶子の思い込み=罪責感は、自分の容姿への劣等感と表裏をなしてもいる)。

 しかも事件以来、晶子は極端な自己嫌悪から、自分のことを人間以下の「くま(熊)」だと言い張り、自分の殻の中にかたくなに閉じこもっている(彼女はだぶだぶの、上下がつながっている「つなぎ」や色あせたようなジャージをルーズに着ている)。

 そして、晶子にそうした「ねじれた」思い込みを植え付けたのは、じつは彼女の母(高橋ひとみ)だった。たとえば晶子の母は、事件直後パニック状態に陥った晶子に、「身の丈の合わない恰好をするからバチが当たったのよ」と吐き捨てるように言う。以来(いやおそらくそれ以前から)、晶子は母から、<自分は可愛い服が似合わない不細工な女の子=クマだ>、という思いを刷りこまれて生きてきたのだ。

 そしてやがて、自分の母とエミリの母・麻子の二人から「有罪宣告」を受けた晶子は、次第に

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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