2012年02月22日
が、今回取り上げるのは、30年代スタンバーグ映画のミューズ、ディートリッヒではなく、やはりハリウッド古典期にその名をはせた美人女優、ジーン・ティアニー主演の『上海ジェスチャー』(1941)である。なぜか日本未公開の、しかし間違いなくスタンバーグの最高傑作の一本だ(2011年12月に、『恋のページェント』<後述>、『ブロンド・ヴィナス』などとDVD化)。
スタンバーグ作品の特色は、アバウトに言って、観客に安易な感情移入を許さない辛口の作風にある。そして『上海ジェスチャー』は、そうした冷徹なテイストが突出しているフィルム・ノワールだ。なにしろ、物語からして、情け容赦のない愛憎劇なのだ(以下、ネタバレあり)。
<物語:第1次世界大戦前夜、上海でカジノを経営する女主人“マザー”・ジンスリング(オナ・マンスン)のもとに、ある日イギリス人貴族ドーソン(ウォルター・ヒューストン、好演)が、賭場の土地を買収し彼女に立ち退きを迫るためにやって来る。しかし、じつは“マザー”は娘時代、ドーソンの愛人だった(今の変わり果てた“マザー”の顔を見ても、ドーソンは彼女がかつての愛人だったことを思い出せない、という設定もサスペンスを醸す)。
“マザー”はドーソンに復讐するため、彼の娘ポピー(ジーン・ティアニー)を女たらしのモグリの医者(ヴィクター・マチュア)に誘惑させ、ドラッグ漬けにしてしまう。だが“マザー”は、ドーソンの口から驚くべき事実を告げられる(黒沢清『贖罪』最終話をちらりと想わせる、“二重底の驚き”)……。>
だいたい、当時のハリウッド・スター・システム下で美女ジーン・ティアニーを“シャブ漬け”にするなど、よくもまあそんな酷い話が通ったものだと、妙に感心したりもするが、しかし本作の真の主人公は、なんといっても、上海・闇社会の「冷酷なドラゴン」こと、“マザー”・ジンスリング/オナ・マンスンだ。
まず“マザー”の、髪を何匹もの蛇のような形に編み上げた、歌舞伎役者かメデューサみたいなヘアスタイルに度肝を抜かれる。さらに、彼女の恐ろしげな吊り目、極細の弓状の眉、とがったアゴ……(その奇っ怪な風貌にふさわしく、国家の法の外で権力をふるう“マザー”は、むろん自らの法=掟の残忍な執行者だ)。
そして目を奪う、すり鉢状の巨大なカジノに群がる怪しげな人間たち。彼、彼女らの何人かは、ポピー/ティアニーのように、ドラッグ中毒とギャンブルの負のスパイラルにからめとられ、破滅していく。
むろんスタンバーグの、東洋趣味とバロック的過剰装飾への偏愛が炸裂するのは、“マザー”の髪形とカジノのシーンにとどまらない。
終盤の見せ場、旧正月の祝祭のシークエンスも、目のくらむようなセットのなかで展開される。壁面にたくさんの古代中国の官吏たちが描かれた大広間の、巨大な長方形のテーブルでの会食シーンで、“マザー”が壁の隠し戸をスーッと開けると、ドラッグ漬けにされスリーピング・アイ=眠り目になったポピー/ティアニーがおぼつかない足どりで現れる。
かと思うと、広間の途方もない大きさのレースのカーテンを、プロレスラー出身の巨漢マイク・マズルキふんする従者がおもむろに引くと、窓ごしに、半裸の女が入れられた幾つもの籠(かご)が天井から吊り下げられ、しかもそれらが上下に行きかう驚異的な光景が出現する。身売りされる租界の女たちを“展示する”観光客向けのショーだ。
やがて、場面は街路にカットバックされ、銅鑼(どら/「ら」は金へんに羅)の音が鳴り響くなか、龍の舞いが練り歩き、爆竹がはぜる賑やかな祭りの様子が画面いっぱいに写しだされる。そして直後、大広間では、銅鑼と爆竹の音にまぎれて二発の銃声が響く……。
また言うまでもなく、“光の魔術師”スタンバーグならではの軟調でかすむような光が、これらすべてのシーンでさまざまな濃淡の白黒を描き出し、見る者をとことん魅了する。まさに頽廃(デカダンス)美学の極致だ。
なお“マザー”がドーソンに、自分はあなたのかつての愛人だったと告げる場面での、彼女のセリフが何ともふるっている。彼女はこう言うのだ――「わたしが着けているのは“時”という仮面だけよ」と……。<星取り評:★★★★★>
<付記――映画マニア向けコラム>
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