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私が文句をつけてきた『カーネーション』のラストシーンはこうなるはず…

青木るえか エッセイスト

 長々と(勝手に私が)ひきずった『カーネーション』問題にもついに決着がついた。いや、私が今、つけたというだけなのだが。

 いろいろとコマコマと文句はつけたものの、しかし冷静に考えて「やはりちゃんとしたドラマである」ということは前提とした上で、それでも何かがひっかかる。そのひっかかりは何か。というその「何か」の正体がわかった。

拡大『カーネーション』のクランクアップのセレモニーで。代々の小原糸子役の(左から)尾野真千子さん、二宮星さん、夏木マリさん=2012年2月24日、大阪市中央区

 前からずっと「『カーネーション』の、あの暗さはいったい何なんだ」と不審に思い、カーネーション好きな人にも嫌いな人(あんまりいない。『カーネーション』に対するネガティブな反応は「興味が無い」がいちばん多く、私みたいに文句をつける人は少ない)にも聞いてみているのだが、私の感じているところの「暗さ」がぜんぜん理解してもらえないでいた。

 そこで私も「なんでわかんないんだよ!」と逆ギレ、『カーネーション』への気持ちはますます険悪に……ということになっていたわけですが、これは私が悪かった。暗い、ということをちゃんと説明できていなかった。

 暗い、のではなかった。

 「不吉な感じ」

 これです。

 明るい話なのに、なぜあんなに不吉な空気がかもしだされるのか。糸子のナレーションがやけに陰気である、という表面的な理由で最初は納得してたが、もっとちゃんとした理由があった。それがわかった。

 最初に、私の感じる「不吉」ということがどういうものなのか説明しておきます。

 『カーネーション』は基本、明るいドラマである。元気な大阪の女と、彼女を囲む人々が織りなす(←テキトーなドラマ紹介によく使われるコトバ)日々のあれこれ。人の半生であるから楽しいことも悲しいことも当然ある。でも基本は「性善説に立って、人間を信じる、明るいドラマ」だ。

 しかし、見ていて不安になってくる。いつものようにすべったりころんだりしながらも、ほがらかに笑いながら生きていく糸子たち。次の瞬間、当たりが光に包まれふっと音が消え、地上からすべてが消える。あとにはただ風が吹いてキラキラと灰が舞っていた………というような、どうも流行遅れの終末SFみたいですが、そんなラストシーンが待っているような気がしてならない。すごくこわい。

 では、なぜ、そんな結末が待っているような気がしてしまうのか。

 それは、『カーネーション』のストーリーが、そういう結末に向かうように、そこここに伏線を仕掛けているからだ。いや、脚本家にも演出家にもそんな気はなくて、無意識のことだと思う。

 『カーネーション』は、演出も丁寧だが、脚本も丁寧で、静かである。どなたかが、「ふつうなら言ったりやったりするところを、あえて何もしない、黙っていて、それで見る者に考えさせる余白をつくってある」と書いていた。

 確かに、糸子やおやじさんが怒鳴るところはともかくとして、全体に静かなストーリー運びであった。起こる事件も、そんなに大ゲサなものではないし、大騒ぎもしない。「作り話のような」とか「ドラマのための事件」みたいなことはない。大映テレビの赤いシリーズとか『愛の嵐』(映画じゃなくて)みたいなものとは対極の、「ハッとするような、心に見えない棘が刺さったような」そういう事件が静かに積み重ねられる。

 パチスロやドンキホーテの店内みたいなガチャガチャしたドラマとは対極の、天然酵母のベーグルに豆腐のディップ、有機野菜スープとネルドリップコーヒーのランチセット1200円のカフェのようなドラマなのです。

 しかし、そこに落とし穴がある。

 これまでに『カーネーション』で起こった事件をいくつかあげてみる。

 「糸子のだんなの浮気」

 「栗山千明がパンパンに身を落とす」

 「ほっしゃんの詐欺事件」

 「コシノヒロコとコシノジュンコ姉妹の葛藤」

 役名と役者名とモデル名がごっちゃになってて申し訳ありません。こうして列挙してみても、そんなに派手な事件ではなく、そして事件の描かれ方も大騒ぎしない。小さな食い違いがこんなことになってしまった……と、天然酵母ベーグルのように重くてすっぱい味わいを感じさせるような、静かな演出になっている。

 それはよいとして、ではこれらの事件はどのように解決するのか。

 これが、「いい人たち」のあたたかい心持ちによって、しずかにやさしく、解決するわけだ。

 パンパンになって自暴自棄になっている栗山千明には、心優しい男が「きみのすべてを愛してる」みたいな感じで現れて(もちろん、そんなベタな台詞は口には出さない)、そして結婚する。

 だんなの浮気。実は、戦死した夫の遺品で、いちばん大切に思っていたのが糸子であったことがわかる。

 詐欺で捕まっちゃったほっしゃんはコシノヒロコの結婚式に「出られへん」と泣く。でもヒロコは「ぜったい出て」と抱きついて泣く。詐欺したっておっちゃんはおっちゃんや、みたいな。

 姉妹の葛藤。なんか姉のほうが妹の力になってやる、ことになる。

 解決も「お涙頂戴!」な感じではなく、けっこう淡々と、泣きどころであえて笑いを入れてきたりもする。ほっしゃんと長女が抱き合ってるとことか、「なんで結婚式の前に抱き合っとんねん」みたいなつっこみが、「ぼそ……」と入ったりしてその回が終わったり。ちゃんと、ちょびっとだけ、一ひねり入れてあるわけです。そのあたりで、「ああ、人間が生きていると起きる出来事って、こんなふうだよなあ」と思わせたいんだろうな、という意志がよくわかるのだ。

 しかしちょっと待ってくれ。

 思いついた事件をいくつか挙げてみたけれど、これ、何も解決してないんじゃないか?

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筆者

青木るえか

青木るえか(あおき・るえか) エッセイスト

1962年、東京生まれ東京育ち。エッセイスト。女子美術大学卒業。25歳から2年に1回引っ越しをする人生となる。現在は福岡在住。広島で出会ったホルモン天ぷらに耽溺中。とくに血肝のファン。著書に『定年がやってくる――妻の本音と夫の心得』(ちくま新書)、『主婦でスミマセン』(角川文庫)、『猫の品格』(文春新書)、『OSKを見にいけ!』(青弓社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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