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吉本隆明のささやきに呼び寄せられて

四ノ原恒憲 四ノ原恒憲(朝日新聞文化グループ)

 ある人物の作品や思想について人に評価を尋ねられた時、「どうも分からない」「肌に合わない」と言うのは、誰でもなかなか勇気のいることだ。

 でも、先日亡くなった吉本隆明さんについては、そう言っても、どこか許される雰囲気があった。誤解しないでほしい。吉本さんが、どうでもいいような存在なら、そもそも、そんな問いにはならない。逆に、その前提には、吉本さんが、身を張って、あの膨大な業績を残したことを、認めた上での話なのだ。不思議なことに。

ルーペで文字を拡大しながら書物を読む吉本隆明さん=2006年7月、東京都・文京区の自宅書斎で

 訃報に接し、吉本さんが朝日新聞に寄せた自らの読書体験の原点を綴った文章を収めた『いつもそばに本が』(ワイズ出版)を読み直してみた。3人の名がある。宮沢賢治、高村光太郎、そして太宰治。太宰か、とふと思う。彼も、吉本さんと同様、随分、評価、好悪の分かれる人だったな、と。

 ある時期、様々な学者や評論家に、「吉本さんをどう思います?」と聞いてまわったことがある。その答えは、「日本で唯一、世界に通じる思想家」といった極めて高い評価と、「書いている言葉が全く分からない。その一言」というにべもないものまで、多くが二分された。「彼の詩は好きだが、あとはどうも」といった、中間派もいたが、まあ、少数派だった。

 太宰が、なぜあれほどまでに、熱狂的な読者を持ち続けるのか。理由の一つとして、読み手一人、一人の耳元に、個人的に語りかけるような独特の文体が挙げられる。彼を真に分かるのは私だけだと思わすような。また、心中にまで行きつく彼の破天荒な生き方が、どこか、その声の「リアル」を下支えもしている。逆にその「声」や「生」のあられのなさが、多くの嫌悪者も生む。

 吉本さんも、

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