鷲尾賢也
2012年03月24日
当時、「就職転向」という言葉があった。企業に入れば、自由が束縛される。ものもいえない。そんな思い(覚悟)で入社したものである。しかし、そのなか(在野、市井)で頑張る、いわば『自立の思想的拠点』(徳間書店)をそのまま実行しているイメージがあった。『擬制の終焉』(現代思潮社)、『最後の親鸞』(春秋社)、『源実朝』(筑摩書房)、『初源への言葉』(青土社)、そして『言語にとって美とはなにか』(勁草書房)がいまだに書棚に並んでいる。
さすがに処分してしまったが、彼の個人誌「試行」もずいぶん長い間講読していた。埃をはたいて、開いてみると、傍線などを引いて読んだ痕跡がある。かたわらに、「吉本隆明全著作集」「全著作集(続)」(勁草書房、<続>は完結しなかったのではなかったか)も置かれているから、やはり熱心な読者だったのだろう。しかし、『共同幻想論』(河出書房新社)には歯がたたなかったことを覚えている。
いろいろな噂が流れていた。これは本人とは、まったく関係ないはなしだが、そこに、当時の吉本の位置があった。
いわく、
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