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私の書棚から見た吉本隆明

鷲尾賢也

鷲尾賢也 鷲尾賢也(評論家)

 1960年代に学生生活をおくっていたものにとって、吉本隆明は特別な存在だった。ほとんどが吉本主義者だったといっていい。もちろん、思想からではない。生き方である。

 当時、「就職転向」という言葉があった。企業に入れば、自由が束縛される。ものもいえない。そんな思い(覚悟)で入社したものである。しかし、そのなか(在野、市井)で頑張る、いわば『自立の思想的拠点』(徳間書店)をそのまま実行しているイメージがあった。『擬制の終焉』(現代思潮社)、『最後の親鸞』(春秋社)、『源実朝』(筑摩書房)、『初源への言葉』(青土社)、そして『言語にとって美とはなにか』(勁草書房)がいまだに書棚に並んでいる。

拡大1968年当時の吉本隆明さん

 さすがに処分してしまったが、彼の個人誌「試行」もずいぶん長い間講読していた。埃をはたいて、開いてみると、傍線などを引いて読んだ痕跡がある。かたわらに、「吉本隆明全著作集」「全著作集(続)」(勁草書房、<続>は完結しなかったのではなかったか)も置かれているから、やはり熱心な読者だったのだろう。しかし、『共同幻想論』(河出書房新社)には歯がたたなかったことを覚えている。

 いろいろな噂が流れていた。これは本人とは、まったく関係ないはなしだが、そこに、当時の吉本の位置があった。

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筆者

鷲尾賢也

鷲尾賢也(わしお・けんや) 鷲尾賢也(評論家)

1944年、東京生まれ。評論家。慶応義塾大学経済学部卒業。講談社入社。講談社現代新書編集長、学芸局長、取締役などを歴任。現代新書編集のほか、「選書メチエ」創刊をはじめ「現代思想の冒険者たち」「日本の歴史」など多くの書籍シリーズ企画を立ち上げる。退社後、出版・編集関係の評論活動に従事。著書に、『編集とはどのような仕事なのか――企画発想から人間交際まで』(トランスビュー)など。なお、歌人・小高賢はもう一つの顔である。小高賢の著書として『老いの歌――新しく生きる時間へ』(岩波新書)など。2014年2月10日、死去。

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