大友麻子(游学社)
2012年03月26日
今年76歳になる映画監督・若松孝二。現役。
1960年代、エロスとバイオレンスを描いた低予算の作品を次々と世の中に送り出し、当時の学生達に熱烈に支持された。「ワカマツコウジ」は当時のサブカルチャーを代表するキーワードの一つであった。
その後、赤軍の黒幕と噂されて仕事が激減したことも。しかし、サメ軟骨や骨董品を売ったりしてお金を作っては、自分の作品を撮り続けた。
これまで撮った作品は100本以上。賛否両論を巻き起こした問題作も少なくない。しかし、どんなに作品をけなされようと、批判されようと、若松監督の姿勢に揺るぎはない。それは「テメエのカネでテメエの作りたいものを作る」事。理屈ではなく、皮膚感覚である。
だから、一つ一つの批判や否定にも、そして賞賛や肯定にも、一喜一憂しない。若松監督が言うには「俺にも、よく分からないから」だ。
自分の皮膚感覚を映像にする。観た人がそれをいろいろな理屈で分析し、批判したり褒めたりする。しかし、その分析も感想も、全ては観た人のものだという。作品は、「オギャーとこの世に産まれた瞬間、自分の手を離れて、ヨチヨチと一人歩きしていく」のだと若松監督。
近年、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』や『キャタピラー』など、骨太な作品が続き、2作品ともにベルリン国際映画祭に招待され、それぞれに華々しい賞を受賞した。
受賞については、「もちろん嬉しいよ。だって配給も全部テメエでやるから、宣伝費1円もかけられない。海外の映画祭に出れば、マスコミも書いてくれるからね」という。「配給」がうまくいくこと=「収益」を出せるということ=「次の作品」が撮れるということ。それだけだ。理屈をこねくり回さない、極めてシンプルな発想。だからこそ、50年間も撮り続けることができたともいえる。
そして2011年、若松孝二は、1年間で3本の作品を作り上げた。毎年作品を撮ることだけでも至難の業なのに、いきなり、自主製作で3本である。
しかも、このラインナップが強烈だ。
ハードボイルド作家、船戸与一氏原作『海燕ホテル・ブルー』(東京・テアトル新宿ほか全国公開中)、『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』(2012年6月2日、テアトル新宿ほか全国公開)、中上健次氏原作『千年の愉楽』(同年秋以降公開予定)。
毛色の全く異なる3つの作品だ。この76歳のベテラン監督を突き動かしているものは何なのだろうか。ご本人に訊いた。
若松孝二 いや、3本も撮ってしまって、自分でもビックリしてますけどね。もともと、『海燕』の原作の船戸さんは、僕の昔の作品、『聖母観音大菩薩』にも出演してもらってるほどの旧知の仲。で、船っちゃんから、『海燕』はぜひ、映画にして欲しい、と言われていたんですよ。この約束は、できるだけ早く果たしたいと思ってた。
船っちゃんの小説で言えば、僕なんかは、一番映画にしたいのは、『山猫の夏』なんですけどね。ブラジルを舞台にした冒険小説、あれは、本当に面白かったし、ぜひ映画化したいなあと思ってたんだけど、イナゴの大群だとか、予算かかるだろうなと思って。今はCG技術もあるから、そんなに金かけずに作れるかな(笑)。
でも、とにかく、船っちゃんとの約束を果たすために、『海燕』は撮ったんです。船っちゃんは、「若松さんの好きなように料理して構わない」と言ってくれたので、本当に、原作と似てもにつかない作品になっちゃった。男が女によって仲間を裏切り、破滅していくっていう、その小説の骨格の部分は残っているけれど、あとはずいぶん自由に遊ばせてもらった。「映画と小説は別モノだからね」って、船っちゃんは笑ってたよ。
この作品は、実は『三島由紀夫』のクランクアップから3週間後に撮り始めたんですよ。とにかく予算ないからね。スタッフももう一度集め直すより、とにかく現場の空気が冷めないうちに、次を撮っちゃえってことで。
最初に撮った『三島由紀夫』は、
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