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 公開中の『ドライヴ』を新宿のシネコンで見たが、予想以上に面白く、ラッキーな拾い物をした気分になった。

 メガホンをとったのは、1970年デンマーク生まれの新進監督、ニコラス・ウインディング・レフン。このオフビートなアクション映画を見て、同じデンマーク出身でもあざとい「アート志向」の凡手、ラース・フォン・トリアーなどとは比べものにならない異能だという印象を受けた。

 まず、こんにちの大半のハリウッド活劇を劣化させているのが、<暴力表現の過剰さ>であることに、レフン監督がきわめて意識的であり、それを実作に反映させている点が評価できる。レフン自身、劇場公開用パンフレットでこう語っている――「最近の映画は、暴力表現がある意味ポルノ風にずるずると続く傾向にあるけど、そうすることで結局は効果を低下させてしまっている」と。言い得て妙である(以下、ネタバレあり)。

<物語:ただ“ドライバー”とだけ呼ばれる主人公(ライアン・ゴズリング)は、図抜けたドライヴテクニックを持ち、昼は映画のカースタントマン、夜は強盗の逃走を請け負うプロの逃がし屋だが、同じアパートに住む子持ちのアイリーン(キャリー・マリガン)と偶然エレベーターに乗り合わせ、恋に落ちるが、やがて服役を終えた彼女の夫スタンダードが戻ってくる。アイリーンは“ドライバー”を愛しながらも、夫と息子と暮らすことを選ぶ。

 “ドライバー”は、彼の昼夜両面の仕事の「窓口」役の、自動車修理工場を営むシャノン(ブライアン・クランストン)の仲介で大きな“ビジネス”に絡むことになり、一波乱が起きる。そしてさらに、マフィアが計画する質屋襲撃事件の実行犯の逃走を手助けすることになった“ドライバー”は、しかし罠にはめられ、シャノン、スタンダードらが次々と殺されていくなか、アイリーンと彼女の息子を守るべく、彼は単身、逆襲に転じる……>

――というふうに、『ドライヴ』はとことん「娯楽」に徹したバイオレンス映画だが、前述のように、暴力の描き方に工夫が凝らされている点が最大の見どころだ。

 たとえば、主人公の“ドライバー”は、極端に口数が少なく、表情もほとんど変えない。しかも彼は、腕っぷしは強いが拳銃をいっさい使わない。こうした禁じ手もむろん、主人公の寡黙さや無表情とともに、ハリウッド・メジャーの「文法」の逆を行く、いわば<引き算の映画作法>だ。

 また、主人公がアイリーンに一目ぼれするシーンで、彼の思いを表情やセリフではなくBGMに託して表現するシンプルさも、ちょっといい(画面の流れをBGMにシンクロさせるためのスローモーション処理も、悪くない)。

 さらに、まるで警察など存在しないかのようにバイオレンスが頻発(ひんぱつ)するご都合主義的<引き算>のシチュエーションも、映画ならではの「嘘のつき方」としては上々だし(警察が介入すればプロットは複雑になる)、主人公がマフィアの一人の片手を、金づちというローテクな武器で打ち砕く「痛さ」も恐ろしい。<星取り評:

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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