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【映画で知る世界の現実(2)】 『オレンジと太陽』の児童移民

古賀太

古賀太 日本大学芸術学部映画学科教授(映画史、映像/アートマネジメント)

 また映画を見て「えっ、知らなかった」と呆然としてしまった。4月14日(土)公開のジム・ローチの初監督作品『オレンジと太陽』のこと。19世紀から1970年代まで、英国では施設に預けられた子供たちを、親の了解も得ずに勝手にオーストラリアに送っていた。送られた子供たちは小さい頃から過酷な労働や暴力に晒され、二度と肉親と再会することもなく、成人するとこれまでの養育費まで請求されていた。その総数、13万人。

 映画は、一人の英国女性がそのような元児童移民に偶然出会い、まさかと思いながらその謎を解こうとする過程を描く。ソーシャルワーカー(福祉相談員)である主人公マーガレット・ハンフリーズを演じるのは、エミリー・ワトソン。

 もちろんこれは実話で、マーガレット・ハンフリーズは現在も生きており、彼女が書いた本『からのゆりかご――大英帝国の迷い子たち』(原著は1994年刊、邦訳は近代文藝社より今年2月刊)を読んだ監督が映画化を申し出たという。

 英国のノッティンガムを舞台に、マーガレットがソーシャルワーカーとして子供を育てられない母親を説得して子供を連れ去るシーンから始まる。最初からつらい修羅場を見せるかと思うと、かつて養子に出された人々の集いの様子が映る。それが終わって夜の10時半、ようやく自宅に帰ろうとするところで、オーストラリアから来た女性につかまってしまう。明日にしてくれと頼むマーガレットに、その女性は、オーストラリアに住んでいるが英国からの移民で両親を探していると言い残し、資料を置いて立ち去る。

 数日後、再び元養子の会に出ていると、そこでは、自分の弟がオーストラリアにいることがわかったという女性が話し始める。英国とオーストラリアを結ぶ2つの線が一挙に結びつき、「強制児童移民」という仮定が生まれる。

 マーガレットはその仮定を確かめるために、オーストラリア大使館に足を運んだり、公文書館に行ったりする。この映画が巧みなのは、観客がマーガレットと共に少しずつ真実を知ってゆく筋の運びになっていることだ。

 そこで重要な役割を果たすのが、マーガレットを演じるエミリー・ワトソンだ。とんでもない話を聞いても、あまり感情をあらわさず、ちょっと困ったような表情を浮かべる。当惑しながらも、苦労をした人々を正面から「見る」。オーストラリアまで行き、「児童移民トラスト」を作り、テレビに出て多くの元児童移民が押しかけても、彼女は動じることなく落ち着いて「見る」。そうして時おり感情の高まりを抑えきれずに、目の前にいる人に寄り添ってひっそりと泣く。

 哲学者のジル・ドゥルーズは、『シネマ2*時間イメージ』のなかで、イタリアのネオレアリズモの特徴を、「見る」映画と定義した。戦争に負けて廃墟となったイタリアで人々が立ちつくし、そのさまをなめるようにカメラが追いかけるロッセリーニたちの映画を指したものだ。次々に新しい登場人物が現れて速い展開を見せるこの映画のタッチは、ネオリアリズモからはほど遠いが、観客を「見る」から「驚く」へ、そして「その立場に身を置く」地点へと導く点においては、同じような機能を持っている。

 これほど何度も泣ける映画も珍しい。母親に初めて会う

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