2012年05月10日
週刊少年ジャンプはずいぶん前から女性読者のほうが多いそうですからねえと筆者が水を向けると、「週刊少年マガジンは、連載マンガの半分以上を女性の作品が占めることがありますもの」と萩尾先生。
青年マンガだって同様で、野球マンガ(ひぐちアサ『おおきく振りかぶって』、三島衛里子『高校球児 ザワさん』など)、サッカーマンガ(塀内夏子『コラソン サッカー魂』、大武ユキ『フットボールネーション』など)といった、女性の経験者が絶対的に少ない分野にも人気作・話題作がちゃんとある。
「編集者に、どうしてなんでしょうかと尋ねたんですよ」
萩尾さんが、そういぶかしげに言うのを聞いて吹き出しそうになった。
いやだなあ、源は萩尾先生じゃないですか。
萩尾さんを筆頭に、竹宮惠子さん、山岸涼子さん、大島弓子さんら1949年に生まれた、いわゆる「花の24年組」が起こした少女マンガの革命が、描き手も読み手も女性が多数派となる世界を招来した。その境目は70年あたり、太陽の塔が建ち、三島由紀夫が割腹したころにある。
その前は違った。
大阪の塔といえば、通天閣しかない60年代は少女マンガ誌に男性が描くのはあたり前だった。当時の女性マンガ家にとっては、「男のすなる漫画といふものを女もしてみんとてするなり」だったのである。
赤塚不二夫はギャグマンガ(という言葉はまだなかったが)を描く前で、少女マンガの世界で、もがいていた。少女マンガの代名詞ともいうべき、瞳の中の星を「発明」したのは石ノ森章太郎だった。ついでにいえば、当時、美人少女画で人気のあった高橋真琴は、おっさんだった。現世代のヒットマンガ、『モテキ』の久保ミツロウや、『鋼の錬金術師』『銀の匙』の荒川弘が、男名前なのに若くてかわいい女性であることと対照的に。
70年代前半に日本は変わる。ちょうどドルショック、オイルショックという戦後最初の経済危機に見舞われたころである。軍事も産業振興もアメリカという超大国におんぶにだっこだった高度経済成長は終わりを告げた。自前の経済理念を掲げる必要があった。突然、自立を強いられ、呆然とする日本が頼りとしたのは女だった。女性たちは日本より一足さきに自立を模索していた。
この時期、戦後すぐから目標としてきた核家族の生活スタイル――農村から出てきた都市労働者が、郊外の公団アパート2DKで所帯を持ち、家電製品で家事を助けてもらいながら、妻が単独で子育てをする――が急激に色あせた。
それには、さまざまな理由が推定されるが、なんといっても大きかったのは、
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