2012年05月18日
この情痴犯罪映画、すなわちフィルム・ノワールを見て気分が高揚したのは、被写体――俳優も舞台背景も小道具もひっくるめて――が、スクリーンのなかに「強く存在している」、というリアルさを実感できたからだ。そしてまた、直球と変化球を巧みに投げ分けつつ、ドラマにきっちりと起承転結をつける、井土紀州監督の脚本力に感心したからである(要するに、この二つのことが渾然一体となって進行するところに、本作の醍醐味があるのだが、ちなみに井土紀州は、脚本家として映画的キャリアをスタートさせた)。
<物語:とある地方都市で、単調だが平穏な日々を送っている教師・鵜川(三浦誠巳)は、交際相手の同僚・美千代との結婚も考えていたが、そんなある日、彼のもとに美千代の学生時代の後輩、メイ(笹峯愛)が現れる。鵜川はメイを一目見て、心惹かれる。暗い影をまとうファム・ファタール、メイの魅力にずるずると引きずられるようにして、鵜川の運命は少しずつ狂っていく……>
こうプロットを要約してしまえば、『彼女について――』は、従来の悪女映画のパターンをなぞっただけの映画に思われもしよう。がしかし、謎めいた女に振り回された平凡な男が奈落の淵へと誘いだされる、という古典的ノワールふうのドラマを“正面突破”した井土の脚本、および演出は、ある意味「愚直」ではあるが、既視感をまったく感じさせない秀逸な出来ばえを示している(ここでいう「愚直」とは、思わせぶり、あざとさ、スノビズムが皆無であることだ)。
そして前述したことを言いかえれば、こうした骨太な直球勝負の作劇が生きてくるのは、ディテールにおける芸の細かい変化球演出があればこそ、である。
たとえば、鵜川とメイが「運命的(ファタール)に」出会った直後の場面。そこで美千代は、メイへの嫌悪をあらわにし、メイの過去にまつわる良からぬ噂を口にするが、観客はこの美千代のセリフによって、メイはいったいどんな女なのか、という好奇心を否応なくかき立てられる。つまりここで、メイの得体のしれなさは一気に深まるのだ。鵜川とメイの出会いがマッチのやりとりを介して描かれるという、ハワード・ホークス映画における男女の出会いを想わせるアイデアとともに、工夫の凝らされた見事なディテールだ。
鵜川とメイのセックス・シーンも、濃密なエロチシズムを発散しているが、けっして煽情的ではない。二人はたがいの体に苦しげに顔をこすりつけ、なにか格闘技めいて押しあうような前戯を繰り返してから交接にいたるが、計3回描かれるそうしたセックス・シーンは、性的興奮を微妙にそらし、むしろ見る者の感情の痛点に触れてくるように演出されている。交接が始まるや、すぐに場面を転換して<脱ポルノグラフィ化>する編集の仕方にも、それは見てとれよう(2回目のラブ・シーンにおけるメイの相手は、朴昭熙<パク・ソヒ>ふんする彼女の元恋人)。
プロット上の急所となるのは、ドラマの主導権を握るメイが何度かみせる、予想外の言動だ(以下、部分的ネタバレあり)。
たとえば、鵜川と暮らすためにチンピラふうの元恋人を振り切ろうとして、果たせず、自分から彼に抱かれてしまうところ(そこで雷鳴とともに降りしきる雨がパセティック)や、鵜川と共謀して元恋人殺しを計画しながらも単独で実行してしまうところ(拳銃とメイの運命線をめぐる小さなミステリーが冴える)。それらは文字どおり、ニ転、三転……と物語にひねりを加えるプロットポイント/転回点となる。
役者に関していえば、鵜川にふんする三浦誠己の顔や身ぶりが実にいい。三浦は、何かに困惑したような、しかしつねに無表情に近い顔つきで<受け>の芝居に徹していて、物語を能動的に引っぱっていくメイに対し、終始、受身の姿勢を保っている。つまり、三浦はそうすることで、本作の物語的な要請に見事に応えてみせたのだ。口数が少なく、心理的な演技をほとんどしない三浦の表情や身ぶりが、ときに感情を激しく表す笹峯愛の演技と好対照をなすのも、そのためである。
もちろんユニークな美女・笹峯愛の、
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