2012年05月21日
日本でも5月19日に公開されたばかりの『サニー』は、40代の女性が若き日の親友たちと自分を見つめなおす物語だ。『哀しき獣』や『アジョシ』のようなサスペンスやアクションとは異なり、ポップでノスタルジック、さらには泣かせてくる『サニー』は、韓国映画の勢いを違うかたちで感じさせてくれる。
夫と高校生の娘と暮らす中年女性イム・ナミ(ユ・ホジュン)は、母親を見舞った病院で高校時代の同級生ハ・チュナ(ジン・ヒギョン)と再会する。病に冒されたチュナは余命2カ月と宣告されており、彼女の最後の願いとして高校時代のグループ“サニー”のメンバーを探し始める。
現在と交互に25年前も描かれる。40代前半のナミやチュナが過ごした高校時代とは、1986年頃だ。ソウルの女子高に転校してきたナミ(シム・ウンギョン)は、チュナ(カン・ソラ)に気に入られて彼女たちのグループに入る。後に“サニー”と名付けられた7人グループは、他校グループとの抗争などをしながら楽しく学校生活を送っている──。
まだ軍事政権下にあった86年の韓国とは、2年後のソウル・オリンピックを控え、民主化運動が吹き荒れる政治の季節だった。作中でも学生と機動隊が衝突する模様が描かれ、ナミの兄も政治ビラを配ったことで警察に追われる。
こうした80年代に学生運動をし、90年代に30代だった60年代生まれを、韓国では「386世代」と呼ぶ(40代になったので、現在は486世代とも呼ばれる)。ナミの兄もこの世代だ。
日本の全共闘世代のように、リベラルな思想を持つ彼らは、新しい韓国を写す鏡として時代を牽引してきた。386世代は、映画の世界にも大きな影響を与えている。たとえばこの世代に該当するのが、キム・ギドク(60年生まれ/『サマリア』)やカン・ジェギュ(62年生まれ/『シュリ』)、パク・チャヌク(63年生まれ/『JSA』)、ポン・ジュノ(69年生まれ/『殺人の追憶』)など、世界的にも知られた名監督たちだ。
必ずしも学生運動に携わっていたわけではないが、彼らは社会への問題意識を反映させて映画を創り続けてきた。『シュリ』や『JSA』に見られる南北の融和と断絶、あるいは『殺人の追憶』や『母なる証明』に見られる当局への不信や格差社会への視線からは、彼らの強い政治意識が感じられる。
しかし、『サニー』から見えてくるのは、386世代とは異なる映画作家の視点だ。2008年にコメディ映画『過速スキャンダル』で大ヒットデビューを飾ったカン・ヒョンチョル監督は、1974年生まれで今年38歳だ。この作品の登場人物よりも、5、6歳ほど下の世代だ。30代で90年代に大学に通った70年代生まれという点では、いわば「397世代」だ。彼にとっての80年代とは、小学校に入学し中学校を卒業するまでの時期にあたる。そんなカン監督は、前世代に対して強い批評性を帯びた作品を提示していたのだ。
『サニー』の特徴は、韓国では“政治の季節”だった80年代をサブカルチャーによって相対化しようとした点にある。たとえば学生たちと機動隊が衝突するシーン、後ろに映るのは映画『ロッキー4/炎の友情』の看板だ。サニーのメンバー7人も、学生と機動隊に紛れながら他校の不良グループと取っ組み合いの大喧嘩をする。しかもこのときのBGMで流れるのは、JOYの「タッチ・バイ・タッチ」だ。
これは、かなり意図的な歴史の読み直しだ。“政治の季節”と呼ばれた80年代が、彼女たちにとってはサブカルチャーにまみれた明るい青春期だったことを強調しているからだ。
他にも多くのサブカルチャーが作中に描写される。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください