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【古典DVD傑作選(4)】 問答無用の傑作ヒューマン・ドラマ、ダグラス・サーク『わたしの願い』<上> 批評的メロドラマの醍醐味  

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 今回とりあげるのは、「メロドラマの巨匠」、ダグラス・サーク(1897-1987)の傑作『わたしの願い』である。

 なぜサークなのかといえば、彼の映画は本作がそうであるように、難解なところなど少しもなく、誰が見ても心を強く揺さぶられる名作が多いのに、こんにちでは、一部のコアな映画狂をのぞいて、その作品があまり知られていないように思われるからだ。

 しかもサークの作品は、現在10本以上がDVD化されているのだから、これを見ないと大損をすると思うので、サーク第一弾として、彼のプロフィールとともに、まずは『わたしの願い』を紹介したい(サークの映画を少数の映画狂の崇拝の対象=カルト・ムービーにしてしまうのは、サークにとっても、われわれ映画ファンにとっても不幸なことだ)。

 ハンブルク生まれのサークは、前述のように、「メロドラマの巨匠」としてその名を映画史に刻んだ。だが、そもそもメロドラマの宝庫であったハリウッド古典期に、なぜサークだけが「メロドラマの名手」として高く評価され、また近年、再評価されているのか。――ひと言でいえば、大衆受けするジャンルとしての「メロドラマ」に、サークがきわめて批判/批評的であり、なおかつ、そのジャンル性を徹底的に活用し、応用するすべを心得ていたからだ。

 もっと簡単にいえば、誰よりもサークが、「メロドラマ」のツボを押さえていたからである。いや、こう言ってしまうと話が雑になるので、サーク的メロドラマの特徴を、以下にざっとまとめておこう。

 おおむね女性である主人公は、極端にドラマチックな状況/シチュエーションを生きる。そうしたシチュエーションは、主人公と周囲の人間たち(家族、恋人、上司、近隣住民……)との間に、なんらかの葛藤、対立をもたらし、新たなシチュエーションを生む(舞台となるのは、多くの場合、アメリカ郊外の閉鎖的な小都市/スモールタウン)。そして、そんな展開のなか、「誤解」、「秘密」、「嘘」、「噂」が、しばしば重要なモチーフとなる(5月7日、8日付の本欄で論じたルビッチ『私の殺した男』同様、本作は典型的な<シチュエーション・メロドラマ>だ)。

 また主人公は、そうした状況のもとで、相反する感情や思いに引き裂かれ、ためらい、惑う。むろん、葛藤に苦しむのは、ヒロインばかりでなく主要な副人物でもあるが、ともあれダグラス・サークは、このような形に物語を織り上げ、細心の演技設計のもとで役者をコントロールし、カメラワーク・編集・照明に突出した才腕を発揮し、ディテールにさまざまな繊細な工夫を凝らした。

 そして、ともすればお涙頂戴の通俗劇に堕してしまうメロドラマを、辛辣な風刺やアイロニーで引き締めつつも、パセティック(哀切)あるいはビターな「ハッピーエンド」、もしくは「バッドエンドすれすれのハッピーエンド」で終わるエモーショナルな劇として<昇華>したのである。

 さて、舞台演出家としてデビューしたドイツ時代に、すでにメロドラマの秀作『第九交響楽』(1936)、『南の誘惑』(1937)などで名を馳せたのち、1939年に渡米したサークのキャリアは、メロドラマの名作を連打する1950年代にピークを迎えるが、その時期の最初の傑作が、今回とりあげる母ものメロドラマ『わたしの願い』(1952-53、79分)だ(このサークの黄金時代は、近々本欄で紹介する1958年の大ヒット作にして大傑作、『悲しみは空の彼方に』まで続く)。

<物語、および若干のコメント(以下、ネタバレあり):かつて舞台への憧れから、家を飛び出しシカゴで女優になったナオミ(バーバラ・スタンウィック)。ある日ナオミのもとに、次女のリリー(ローリー・ネルソン)から一通の手紙が届く。高校の学芸会でヒロインを演じるのでぜひ見に来てほしい、と書かれたその手紙に心動かされたナオミは、一度は捨てた故郷のウィスコンシンの家に帰ってくる。むろんリリーは大喜びし、高校の校長をしている平凡だが温厚な夫、ヘンリー(リチャード・カールソン)は、心優しい家政婦のロッテ(レーナ・エングストレム)ともども、ナオミを迎え入れるが、長女のジョイス(マーシア・ヘンダーソン)は自分たちを捨てた母への反感をあらわにする。

 そして、長女ジョイスのナオミへの反感とともに、物語に大きなメロドラマ的葛藤や波乱を呼びこむのが、ナオミのかつての恋人、ダッチ(ライル・ベトガー)の存在だ。よりを戻そうとしてナオミに言い寄るダッチは、銃の暴発によって負傷するが、町の住民らの間では、ナオミが痴情のもつれからダッチを撃ったという<噂>が広まる。そして、夫ヘンリーの心にも葛藤が再燃する(周囲の<誤解>や<噂>がヒロインを苦しめサスペンスを高める、というメロドラマの定石をサークは的確に打つ)。

 いまひとつ、ナオミが家族に隠している重大な<秘密>があった。ナオミはいっときは人気女優だったが、今は場末の劇場で落ちぶれているのだった(むろん、<嘘をつく><偽る>という、すぐれてメロドラマ的なモチーフ)。そして、ナオミがその事実を家族に、とりわけ母を大女優だと信じこんで演劇熱に浮かれているリリーに、果たして打ち明けるのか否かという点も、最大のメロドラマ的サスペンスのひとつとなる……>

 それにしても、ナオミの元恋人ダッチに、彼女の一番年下の長男がなついていたり、夫ヘンリーと同僚の女教師サラ(モーリン・オサリヴァン)との間に淡い恋愛感情が生まれかけていたり、あるいは家政婦のロッテが少し離れた位置から一家を見守り、しばしば家族らの相談役になり、彼、彼女らの葛藤を和らげるクッションの役割を果たしていたりと、見る者の心をときに波立たせ、ときに和ませるサークの人物配置には、ただもう感服するばかりだ(サーク映画における<家政婦>の重要さについては、おそらく本邦初の本格的なサーク論、武田潔「葬列と疾風 ダグラス・サーク頌(ほめうた)」<『映画そして鏡への誘惑』、フィルムアート社、1987>を参照されたい)。

 ラストはといえば、ナオミと家族との葛藤や対立

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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